culture & history

分子人類学が描き出した人類の拡散と移動の歴史

2016年1月26日 火曜日 曇り

篠田謙一 日本人になった祖先たち DNAから解明するその多元的構造 NHKブックス 2007年

このような本を読んでの感想は、「まだあまり分かってないんだなあ」ということ。少し残念に思う。急速に進んできている分野なので、あと10年後、2026年に出版される同じタイトルの本にはずっと多くの知見が盛り込まれていることと思う。20年後の2036年出版本ならばさらに驚くほどの進展があるだろう、と仮定して生きていても普通は大丈夫としたものである。となると、このような急を要さない知識に関しては、分からないことを今勉強するよりも、十分にまとめられているものを20年後になってから勉強する方が能率的だと思われる。そうすると、せめて何十年か何百年かぐらいなら生き延びてくれるだろう「古典」を読むか、数学や基礎的な物理・化学・地学・生物学・農学などそれほど急速には進まないサイエンスを勉強するか、今現在はそんな時間の使い方の方が賢いとも思うのである。それはさておき、読みかけたからには最後まで目を通して、我が読書ノートの充実を図っていこう。

さて、上記のような「先延ばしに利あり」という考えに警鐘を鳴らす著者の言葉を以下に引用:「こういった問題には、専門家集団が答えを用意しますが、私たちの生活に直結する問題だけに、自分自身でもその妥当性を判断する必要があります。しかし、残念ながら日本の教育は生物学に関してははなはだ貧弱で、一般にはこのような問題を正しく理解するための基礎的な知識を習得するコースが用意されていません。・・・(中略)・・・進歩の速いこの時代にあって、私たちは科学技術に関する教育を、学校のなかではなく生涯教育の場で推進することを真剣に考えなければならない状況にあると思います。(篠田、同書あとがき、p217-218)」

*****

ミトコンドリアDNAの分析結果は、中妻縄文人が母系に傾いた集団であることを明らかにしました。これは、従来のいかなる研究手法をもってしても得ることのできない情報であり、その意義は大きいものです。しかしながら、それ以上の親族関係については、この情報だけで推定することはできません。・・・DNA解析から、形質人類学・考古学的研究を不要にするような精度の高い情報を得ることはできません。(篠田、同書、p166)

関東と北海道の縄文人に見られるハプログループ頻度の違いは、北海道縄文人の歴史のなかで、ボトルネックのような人口を著しく減少させる出来事があったか、あるいは長年にわたる通婚圏の固定化が原因であると考えると説明がつきそうです。(篠田、同書、p170)

弥生人の姿を追う
 火山が多く基本的には酸性の土壌に覆われた日本では、カルシウムを主体とした人の骨は土中で速やかに分解されてしまいます。縄文人骨は貝塚の厚い貝層に守られて保存されるのですが、弥生時代以降の人骨は、砂丘など特殊な場所に埋葬されない限りほとんど発見することはできません。そんななかで、福岡県や佐賀県などの北部九州地方を中心とした地域では、弥生人が遺骨を甕棺(かめかん)という巨大な素焼きの甕に入れて埋葬する風習を持っていたために、人骨が分解されずに発見されます。これまで日本中で発掘された弥生人骨は、大部分がこの地域から出土したものなのです。(篠田、同書、p174-175)

DNAの相同検索の結果を見る限り、朝鮮半島にも古い時代から縄文人と同じDNAをもつ人が住んでいたと考える方が自然です。・・・縄文時代、朝鮮半島の南部には日本の縄文人と同じ姿かたちをし、同じDNAを持つ人々が住んでいたのではないでしょうか。・・・DNA文責の結果を見ていると、少なくとも北部九州地方と朝鮮半島の南部は、同じ地域集団だったと考えたくなります。そうであれば二重構造論の枠組みのなかに、朝鮮半島南部までを含めて考えた方が実際のヒトの動きを理解しやすくなるでしょう。私たちは自身の由来を考えるとき、「日本人の起源」に囚われずに、朝鮮半島の南部や沿海州などを含めた東アジアの東端における集団の成立を考えることが必要なのかもしれません。(篠田、同書、p178-179)

*****

Y染色体の変異に関する研究は、主として法医学の分野での解析が進んでいます。Y染色体は親子鑑定の現場や、あるいは性犯罪の捜査などに有効なためです。この分野では、日本人のデータも加速度的に集積されているようですが、地域差を見いだすことを目的とした研究はありません。法医学の分野では国内の地域差にさほど関心がないのがその原因だと思われます。(篠田、同書、p199)

ミトコンドリアDNAやY染色体DNAのハプログループを子細に見ていくと、私たちのルーツは大陸の広い地域に散らばっており、それがさまざまな時代にさまざまなルートを経由してこの日本列島に到達し、そのなかで融合していくことによって日本人が成立したことは明らかです。

*****

**********

RELATED POST