literature & arts

秋の士は悲しむ

2016年10月31日 月曜日 雨

 昨日の雪は降りつもるほどではなくて消えてしまったので、まずは私も冬支度を進められた。街路の楓紅葉は早くもおおかたの葉を落としているが、今年は落ち葉を拾い集めるゆとりの一日が得られない。
 今日で10月も最終。電話で、1)圃場の水道を冬期間止めてもらう、2)庭木の冬囲いをシルバー人材センターに、・・2件の依頼用件を済ませた。
 札幌では30年ぶりという早い冬の訪れで、人々は冬支度に追われている。ガソリンスタンドでは、タイヤ交換を待つ車の列・・滅多に見たことのない風景だ。
 
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一海さんの漢詩本、秋の詩のページを秋のうちに読み進める予定だったが、秋もそれなりに忙しくて漢詩を読む暇がなく、今ではもう、北海道は冬になってしまった。季節を先取りできなくて無粋ではあるが、雨の日を利用して、秋の詩のページを読み進めることとする。

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一海知義 漢詩一日一首 平凡社 1976年

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暮立  唐・白居易

黃昏獨立佛堂前,
滿地槐花滿樹蟬。
大抵四時心總苦,
就中腸斷是秋天。

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白居易 暮れに立つ
黃昏(たそがれ)に獨り立つ 佛堂の前,
地に滿つる槐(えんじゅ)の花 樹に滿つる蟬。
大抵(おおむね) 四時 心總(す)べて苦しきに,
就中(なかんずく)腸(はらわた)斷たるるは 是れ秋天。

(訓み下しは一海さん、同書、p393)

・・秋天は、秋の空でなく、秋の意。こうした感慨は、おそらくは詩人白楽天の実感であったろう。しかし、それは中国の詩人の伝統的感覚でもあった。(一海、同書、p393)・・生産者、労働者にとって、秋は収穫の季節であり、喜びの季節である。文学の担い手が、生産と労働に無縁な階級に移ったとき、秋は凋落の季節、悲しみの季節として、とらえられるようになる。(同、p394)・・・(中略)・・・ 悲秋の感覚は、現在は庶民の感覚でもある。だが古代においては、それは一部の限られた階層の感覚であったといえよう。・・
春の女(むすめ)は 思い
秋の士(おのこ)は 悲しむ(漢代の書物「淮南子」)
というのは、陰陽説を前提として男女をとらえていることは別として、なかなかに象徴的である。「士」は、男一般をさすのではない。支配階層の男子をさす階級的用語である。(同、p395)

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