読書ノート

ヘンリー7世即位直後のイングランドは弱小国。ヘンリ2世やヘンリ5世が築いた強国とは程遠い状態。

2020年12月8日 火曜日 札幌〜江別は晴れないし曇り、積雪0mm。岩見沢〜三笠は雪ないし吹雪、積雪〜1メートル内外。地域によって天候・積雪の状況が著しく異なる(=天は激しく依怙贔屓だ)。それでも今日は高速道路を利用して札幌〜三笠〜岩見沢〜札幌と往復することができた。

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君塚直隆 物語 イギリスの歴史(上)古代ブリテン島からエリザベス1世まで 中公新書2318 2015年

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ヘンリー7世王の紋章
若きヘンリー(ヘンリー7世)

弱小国化していたイングランド

・・このように、デーン王朝のカヌートやノルマン王朝のウィリアム1世とも比較できる、「征服」にも近い状態でヘンリ7世は王権を手に入れた。ただし即位直後のイングランドは、同名のヘンリ2世やヘンリ5世が築いた強国とは程遠い状態にあった。  百年戦争でフランスに敗れてからは、大陸に有する唯一の領土はドーヴァーの対岸カレーだけであった。エドワード1世の時代から「自国商品」として大量に送りこまれてきたボルドー・ワインもいまでは「外国商品」となっていた。ペストが流行する(一三四八年)まで、イングランドの人口は500万人弱であったが、一四世紀後半に半減し、その後も伝染病や戦乱の影響もあり、チューダー王朝が成立した頃には二〇〇万人強にま落ち込んでいた。  産業の中心はいまだ農業で、職人たちの給与もあまり上がらず、生活水準はきわめて低かった。輸出品の大半を占めたのは相変わらず羊毛と、未完成の毛織物(完成できる技術がなかった)だった。これだけで輸出品の九割を占めていた。ブリテン島内外を巻き込んで三〇年も続いたバラ戦争のおかげで、農業・商業・工業のすべてが打撃を受けていたのだ。  いまや弱小国の王となったヘンリ7世が、その四半世紀に近い治世の全てをかけて尽力したこと、それはイングランドの独立とチューダー王家の安泰を維持することである。(君塚、同書、p184-185)

 

King Henry VII 在位1485-1509 神聖ローマ皇帝マクシミリアン1世の娘マルガレーテと再婚するために描かせた肖像画。望みはかなわずこの絵もロンドンに送り返されてきた。(君塚、同書、p183)

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ヘンリー7世の肖像画の16世紀後半の模写

ヘンリー7世妃エリザベス・オブ・ヨーク

死の床のヘンリー7世

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