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大人のための”ど真ん中の”メルヒェン人情落語「おたふく」。

2021年3月11日 木曜日 曇り
福島原発事故から10年。
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おたふく/山本周五郎
朗読は幾つかのヴァージョンがあり、聴き比べも楽しそうだ。
今回は 読み手七味春五郎 さん で聴いた。
「おたふく」 腕っこきの職人貞二郎、長唄の師匠おしず。ともに行き遅れの二人は、彫金師の親方のあっせんで、夫婦となるのだが、おしずにはとある秘密があり……
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補註: 名人モノといえば、もちろん、志ん朝の落語のうち(名人モノの)いくつかを思い出す。
この「おたふく」は、仕事に才能あり、仕事に打ち込む男と、それを愛し支える女が女房となって・・現実の世では稀すぎて起こりえないかも知れないけれど、そのなことがあったらどんなに素晴らしいだろうかと思う、大人のためのメルヒェン。最後の「ど真ん中」のオチ(落とし)は、涙の人情噺「おたふく」の最後を、痛快な呑気な笑いで締めくくる。山本周五郎の優しさが溢れている短篇だと思う。周五郎氏のお話は、話のプロットの面白さで読む人を感心させるというところが特別優れているというものではない(補註#)。 日常的な当たり前の男女の心のうねりや小さな思いの襞の機微を、静かな感動とともに読ませるところに山本周五郎の良さ・素敵さがある。この「おたふく」も、登場人物たちの、単純ではあるものの一途な懐(おもい)と、それを経て辿り着いた今現在の静かなありふれた庶民の日常生活が優しく描かれている。
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補註#: このお話しがハッピーエンドに終わると仮定したら、今後どのように筋が展開していくだろうか、・・と読者が途中で考察すれば、大概はストーリーの予想が当たっていく。アガサ・クリスティーばりのどんでん返しは絶えて無いのである。ところが、このプロットの単純さは、周五郎氏のお話の場合、欠点では無い。むしろ、そこ(ストーリーのプロット)が単純でむしろ自然な流れであるからこそ、場面描写の妙・名人芸が冴えているのだと、私は感心してしまう。
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補註: 落語の台本のような「おたふく」であるから、往年の圓生や志ん朝が高座で語ったらさぞかしよい古典落語になったことであろう。いや、すでに、落語で語られ定番になっているかもしれない。
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補註: 西田・竹下の二人による朗読、ドラマ仕立て。こちらも本日じっくりと聴いてみた。語り手は前半西田、後半は竹下、ドラマ仕立ての朗読で楽しい。素敵である:おたふく・西田・竹下版:本当に素晴らしく上手い! ただし、アブリッジ・ヴァージョンで28分に約められているのは惜しい。あらすじはよくわかる上手なアブリッジではある。しかし、貞二郎のおしずへの恋情が深まっていく道筋、そしてそれゆえに、ふとした疑いのきっかけから嫉妬の炎がめらめらと燃え上がっていくさまを、周五郎の筆致が見事に描いていく。この流れが、省略によって簡単になってしまった。西田・竹下ヴァージョンで楽しめた方には、是非ともフル・ヴァージョンを聴くなり読むなりしていただいて、周五郎ワールドを存分に味わっていただきたい。
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補註: 金時の火事見舞い ・・ウェブ辞書によると・・・《顔の赤い金時が火事見舞いに行けば、ますます赤くなるところから》非常に赤い顔のたとえ。飲酒で赤くなった顔などをいう。ということなので、おしずは「金時の風邪見舞い」と覚えてしまったのだろう。
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補註: 有名な金時さんは、 ・・ウェブ辞書によると・・・平安時代後期の武士。源頼光の家来。「金時」とも書く。『今昔物語集』『古今著聞集』にみえるが,頼光四天王の一人として有名になったのは『平家物語』,御伽草子『酒呑童子 (しゅてんどうじ) 』,能『大江山』『羅生門』などによる。江戸時代に入って,幼名怪童丸 (のち金太郎) といい,足柄山で獣と遊んでいた話ができた。金太郎は五月人形などで,健康児の象徴として大衆に親しまれている。

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補註(210312追記):「むりもないことだ、なぞと理解せず、なぜ単純に憎むことができないのか。そんな嫉妬こそ、つつましく、美しいじゃないか。 重ねて四つ、という憤怒こそ、高く素直なものではないか。細君にそむかれて、その打撃のためにのみ死んでゆく姿こそ、清純の悲しみではないか。」太宰治「姨捨」より。太宰の「姨捨」でいうこの「高く素直な嫉妬」が、山本周五郎がこの「おたふく」で描いているものだと思う。

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