小林惠子 広開土王と「倭の五王」 讃・珍・済・興・武の驚くべき正体 文藝春秋 1996年
東アジアから日本古代史をみるという史観
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天智・天武が非兄弟であると結論してから、「記紀」、特に「書紀」の記載の矛盾を注意深く追ってみると、一つの法則が厳然とあることに気づいた。その法則とは、
一、外国から入って、ただちに倭王となった場合、その事実を隠蔽していること。
二、天皇はなるべく万世一系に則して、血脈を改竄していること。
三、それらの事実を讖緯説的な暗示によって記載していること。
主にこの三点である。この三点を明確に認識して「書紀」をみると、「書紀」は最後の持統紀から二〇年ぐらい後に完成されているだけに、当時としては現代史に近く、細かな点まで恐ろしく正確な史書であることがわかってきた。それからはもつれた糸が急速にほどけるように、中国や朝鮮の史料とも比較検討が可能になったのである。(小林、同書あとがき、p247)
邪馬臺国の記載された中国の「三国志」と、神武の「記紀」の間に、朝鮮の史料である「三国史記」を介在させると、意外に列島の三世紀代が鮮明に浮かび上がってきた。また一二世紀完成の「三国史記」が後世の史料とはいえ、「記紀」と同じように、三国の王統と日本との外交交渉を讖緯説的に表現して、暗示にとどめていること以外、きわめて正確な史料であることもわかった。(小林、同書あとがき、p248)
この東アジアから日本古代史をみるという史観を、具体的に実行に移し、試みたのがこれまでの拙著であると自負している。(小林、同書あとがき、p248)
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