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陶淵明の千載憂 李白の萬古愁

2016年4月15日 金曜日 くもり のち雨、風強く嵐の荒れた天気 ただし気温は6度Cと、それほど寒くはない。

一海知義 漢詩一日一首 平凡社 1976年 p36

将進酒 李白

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將進酒
李白

君不見黄河之水天上來,
奔流到海不復回。
君不見高堂明鏡悲白髮,
朝如青絲暮成雪。
人生得意須盡歡,
莫使金樽空對月。
天生我材必有用,
千金散盡還復來。
烹羊宰牛且爲樂,
會須一飮三百杯。
岑夫子,丹丘生。
進酒君莫停。
與君歌一曲,
請君爲我傾耳聽。
鐘鼓饌玉不足貴,
但願長醉不用醒。
古來聖賢皆寂寞,
惟有飮者留其名。
陳王昔時宴平樂,
斗酒十千恣歡謔。
主人何爲言少錢,
徑須沽取對君酌。
五花馬,千金裘。
呼兒將出換美酒,
與爾同銷萬古愁。

*****

將進酒(将に酒を進めんとす)

君 見ずや  黄河の水 天上より來たるを,
奔流し 海に到って  復(ま)た 回(かへ)らず。
君 見ずや  高堂の明鏡 白髮を 悲しむを,
朝(あした)には 青絲の如きも  暮(くれ)には 雪と成る。
人生 意を得(え)なば  須(すべか)らく 歡(かん)を 盡くすべし,
金樽(きんそん)をして  空しく 月に對せしむること 莫(なか)れ。
天 我が材を生ずる  必ず用 有らん,
千金 散じ盡くすも  還(ま)た復(ま)た 來たらん。
羊を 烹(に) 牛を 宰(ほふ)りて  且(か)つは 樂しみを爲(な)さん,
會(かなら)ず須(すべか)らく 一飮  三百杯なるべし。
岑夫子(しんふうし), 丹丘生(たんきゅうせい)。
酒を進む, 君 停(とど)むること莫(なか)れ。
君の與(ため)に  一曲を 歌わん,
請ふ 君 我が爲に  耳を傾けて 聽け。
鐘鼓(しょうこ) 饌玉(せんぎょく)  貴ぶに 足らず,
但だ 長醉を 願ひて  醒(さ)むるを 用いず。
古來 聖賢  皆 寂寞(せきばく),
惟(た)だ 飮者の 其の名を 留むる 有り。
陳王 昔時  平樂に宴し,
斗酒十千  歡謔(かんぎゃく)を 恣(ほしいまま)にす。
主人 何爲(なんす)れぞ 錢 少しと 言うや,
徑(ただ)ちに 須(すべか)らく 沽(か)い取りて  君に對して酌(く)むべし。
五花の馬, 千金の裘(かわごろも)。
兒(じ)を 呼び  將(も)ち出(いだ)して  美酒に 換(か)えしめ,
爾(なんぢ)と 同(とも)に 銷(け)さん  萬古の愁(うれ)い。

訓読は一海知義 漢詩一日一首 平凡社 1976年、p36-7

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古來 聖賢 皆 寂寞  古来、聖人賢者とて、みな寂寞(ひっそり)とそのかげうすし。(一海、同書、p38)

何とも豪勢である。ただ、さいごにいう「万古の愁い」という表現が、すこし気になる。李白は、どんな憂愁を胸にいだいていたのであろうか。それは、この歌のはじめにいういかんともしがたい時間の推移への悲哀と連なるだろうが、それだけではあるまい。波瀾万丈の生涯の中で経験した幾多の辛酸とも、それはつながるだろう。しかし、それらを、万古のーーー永遠のーーー愁いと表現したところに、やはり李白らしさがある。(一海、同書、p39)

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補注
『詩詞世界』サイト 碇豊長さんの「詩詞世界・碇豊長の詩詞」http://www5a.biglobe.ne.jp/~shici/rs61.htm のサイト にも訓読と詳しい解説がなされている。以下は同サイトから引用させていただく:

※ここでの「君不見」は、「黄河之水天上來,奔流到海不復回。」までかかる。ただ、伝統的には「君 見ずや  黄河の水 天上より來たるを」と読み、かかっていくのは「黄河之水天上來」までとしている。つまり、「奔流 海に到りて 復た回らず」とは、作者の独白と見て、「君不見」のかたりかけの部分とは見ない。「君不見」は、「黄河之水天上來,奔流到海不復回。」(黄河の水 天上より來たり, 奔流 海に到りて 復た回らざるを。)までが語りかけの内容と思うが、上記の読み下しは、一応伝統に従っておく。そのほうが、日本語で読むリズムのよさは、うんとすばらしいものであるから。 ・黄河之水:黄河の流れ。 ・天上來:天上より流れ来る。黄河の源は(伝説の)崑崙とされた。
※古來聖賢皆寂寞:昔から今に至るまでの聖人や賢人は、ことごとく、ひっそりとしてもの寂しいありさまだ(が)。 ・古來:昔から今に至るまで。今まで。 ・聖賢:聖人と賢人。 ・皆:みな。ことごとく。全部。副詞。 ・寂寞:〔せきばく、じゃくまく;ji4mo4●●〕ひっそりとしてものさびしいさま。
※主人何爲言少錢:(もてなす)主人は、どうして、お金が足りなくなったといおうか。 ・主人:あるじ。賓客に対していう。 *ここでは李白のことになる。 ・何爲:〔かゐ;he2wei2○○〕何ゆえ。どうして。なんすれぞ。 ・言:声に出して言う。 ・少錢:お金が足らない。お金が少ない。
※與爾同銷萬古愁:あなたと一緒になって、昔から永遠に続く愁いといわれる死への恐怖を消そう。 ・爾:あなた。なんぢ。 ・同:同じくする。動詞としての用法。 ・銷:消す。とかす。≒消。 ・萬古愁:昔から永遠に解かれることのない愁い。死の恐怖。陶潜の詩でいえば「千載憂」。東晉・陶淵明の『遊斜川』に「開歳倏五日,吾生行歸休。念之動中懷,及辰爲茲游。氣和天惟澄,班坐依遠流。弱湍馳文魴,閒谷矯鳴鴎。迥澤散游目,緬然睇曾丘。雖微九重秀,顧瞻無匹儔。提壺接賓侶,引滿更獻酬。未知從今去,當復如此不。中觴縱遙情,忘彼千載憂。且極今朝樂,明日非所求。」。や、「身沒名亦盡,念之五情熱。立善有遺愛,胡可不自竭。」、「向來相送人,各自還其家。親戚或餘悲,他人亦已歌。死去何所道,託體同山阿。」、『形影神序』(貴賤賢愚)、『形贈影』(天地長不沒)、『影答形』(存生不可言)、『挽歌詩』其一(有生必有死)、『挽歌詩』其三(荒草何茫茫)。死を見つめ続けた。そして、迫り来る時代の激変にも『乞食』「冥報以相貽」、『飮酒』・其八「凝霜殄異類,……」と、いうのになるか。

以上、「詩詞世界・碇豊長の詩詞」http://www5a.biglobe.ne.jp/~shici/rs61.htm のサイト より引用。

(補注:主人が李白自身であることは、当然ながら解釈の要。)

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