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春草明年綠ならんも 王孫歸るや 歸らずや

2016年4月16日 土曜日 曇り

一海知義 漢詩一日一首 平凡社 1976年 p40 
「詩詞世界・碇豊長の詩詞」http://www5a.biglobe.ne.jp/~shici/r06.htm  http://www5a.biglobe.ne.jp/~shici/shi2/rs120.htm        
            
送元二使安西 
唐 王維 

渭城朝雨裛輕塵,
客舍靑靑柳色新。
勸君更盡一杯酒,
西出陽關無故人。

元二の 安西に使(つかひ)するを  送る

渭城(ゐじゃう)の朝雨  輕塵を 裛(うるほ)し,
客舍 靑靑  柳色 新たなり。
君に勸む 更に盡(つく)せ  一杯の酒,
西のかた 陽關(やうくゎん)を 出づれば 故人 無からん。

この作品は、後世、別離の際に歌われるようになった。近代以降の我が国でいえば『蛍の光』のような使われ方をした。「陽関三畳」 (『陽関』を三回繰り返す)と謂い、離別の情を叙べる詩歌 で極めてよく使われる。別れの際、第二、三、四句を繰り返して謡ったという。或いは第二聯を更に二度重ねて繰り返して歌った…などと、その「陽関三畳」の実際の朗詠法には諸説がある。(「詩詞世界・碇豊長の詩詞」より引用)

昨夜別れの宴を張った宿屋、それをとりまく柳の木は、実景の描写であるとともに、別れにさいして柳の枝を手折って渡し、無事を祈るという風習に関係する。(一海、同書、p41)

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山中送別

山中相送罷,
日暮掩柴扉。
春草明年綠,
王孫歸不歸。

                       
山中  相い送りて罷(や)み
日暮  柴扉(さいひ)を 掩(おお)う
春草  明年 綠ならんも
王孫  歸るや 歸らずや

相送の相は、相手を、の意。王孫は貴顕の人の子弟をいうが、ここでは相手に対する単なる尊称と考えてよい。王孫と春草とは、・・旅に出て帰らぬ人にまつわる縁語であろう。(一海、同書、p42)

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送別

 唐  王維

下馬飮君酒,
問君何所之。
君言不得意,
歸臥南山陲。
但去莫復問,
白雲無盡時。

馬を下りて  君に酒を飮ましむ,
君に問ふ: 何(いづれ)の所へか之(ゆ)くと。
君は言ふ: 意を得ず,
歸りて 南山の陲(ふもと)に臥(が)せんと。
但だ去れ  復(ま)た 問ふこと 莫(な)からん,
白雲  盡くる時 無し。

訓読は一海、同書、p43より

ただし、この詩にいう「君」とは、あるいは王維自身のことかも知れない。とすれば、詩人の心理の、別のたゆたいが、この詩を生んだともいえる。(一海、同書、p44)

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仏教徒の摩詰王維はどのような意味で「白雲」を使ったのか。白雲はよく詠われるが、ここでは恐らく、東晉・陶淵明『和郭主簿』「藹藹堂前林,中夏貯清陰。凱風因時來,回飆開我襟。息交遊閑業,臥起弄書琴。園蔬有餘滋,舊穀猶儲今。營己良有極,過足非所欽。舂作美酒,酒熟吾自斟。弱子戲我側,學語未成音。此事真復樂,聊用忘華簪。遙遙望白雲,懷古一何深。」 や、蘇『汾上驚秋』「北風吹白雲, 萬里渡河汾。心緒逢搖落,秋聲不可聞。」 のような意で使ったのだろう。 ・白雲:超俗的な趣を持つ語で、神仙、隠逸を暗示する語。蛇足になるが、「青雲」といえば、その反対の意も持ち、俗世の高位、高官を想うことを指す。勿論、世俗から離れて超然としている悟りの境地をも指すが。「詩詞世界・碇豊長の詩詞」さんのサイト http://www5a.biglobe.ne.jp/~shici/r26.htm より引用。

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