literature & arts

成都時代の杜甫: リアリズムからの超克

2016年11月23日 水曜日 祝日 晴れ

鈴木修次 杜甫 人と思想57 清水書院 1980年

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役人生活を離れ、放浪詩人として自由な生活に没入した秦州への旅立ちから、リアリズム詩人としてのわくを自分でうちこわして、芸術的な構成をいろいろとくふうしてみるという傾向を示し出した。・・芸術的構成へのくふうが、やがては、詩の文芸的様式のくふうにまで進むようになった。それへのこころみをはじめたのは、生活にもおちつきが生じ、気持ちの上でもゆとりが生まれた成都の時代であった。  たとえば、上元二年(七六一)、作者五十歳の作と考えられている次の詩(春夜雨を喜ぶ)を読んでみよう。(鈴木、同書、p172)

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春夜喜雨 杜甫(原文は碇豊長さんのサイトより引用)
http://www5a.biglobe.ne.jp/~shici/shi4_08/rs287.htm

好雨知時節,
當春乃發生。
隨風潛入夜,
潤物細無聲。
野徑雲倶黑,
江船火獨明。
曉看紅濕處,
花重錦官城。

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好雨 時節を知り,
春に當たりて 乃(いま)や發生せしむ。
風に隨(ともな)いて 潛(ひそ)かに夜に入り,
物を潤すこと 細(こま)やかにして聲無し。
野徑 雲 倶(みな)黑く,
江船(こうせん) 火 獨(ひとり)明かなり。
曉(あかつき)に 紅(くれない)の濕(うるお)う處(ところ)を看(み)なば,
花は 錦官城(きんかんじょう)に重からん。
(訓み下しは鈴木、同書、p173)

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「好雨」は、季節の雨。
「発生」、万物を生育させる意。
「錦官城」、成都城の別称。
・・
 季節の雨は、降るべき時節を心得て、春になったいま、万物を生育させようとしている。春雨は、風にともなってひっそりと夜にまで降り続き、万物をこまやかにうるおして、もの音もたてない。この部分、春雨の静かな、そしてしっとりとしたようすを、情緒的にこまやかに写し出している。夜の小道、そして雲、みなまっくら、川船の漁り火(いさりび)だけが、ぽつんと明るい。詩人はこの部分から、やや幻想的な世界にはいりこむ。さて一夜あけて、まっかな色がにじむところを見つめるならば、それは一夜のうちにいっせいに錦官城に咲きほこった花、それが目にしみるにちがいないのだ。最後の二句は、幻想の世界からさらに展開させて、空想の世界のにじんだイメージを楽しんでいる。(鈴木、同書、p174)

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中国で、意図的にリアリズムを超克して、印象派ふうの詩を作り出したのは、晩唐の詩人杜牧(803-852)からであるが、杜牧がそうした詩風を開拓するためには、杜甫のこの作品が少なからず刺激を与え、ヒントになったのではないか。リアリズム詩人であった杜甫の、リアリズムの世界からの超克は、以後の詩人たちに、詩の芸術様式の一パターンとして、大きな影響を与えたのであった。(鈴木、同書、p175)

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