culture & history

チャペック 発展はどこをめざすか

2016年12月23日  金曜日 激しい雪(木曜日のお昼頃から降り続いている。航空便は欠航、高速道路は閉鎖、等々)

カレル・チャペック いろいろな人たち チェペック・エッセイ集 飯島周編訳 平凡社ライブラリー 1995年

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(チャペック、発展はどこをめざすか 1938年、同書、pp306-311)

子犬の発展には一年かかり、人間の発展には数十年かかり、人類の発展にはたっぷり数千年かかる。ヨーロッパの発展は一年とか十年ほどではよく判定できない。そんな見方にたいして、ヨーロッパはあまりにも古くあまりにも大きい。ヨーロッパの発展についてなにか像を描きたいなら、この数千年間にヨーロッパでなにが起こったかを眺めなければならない。・・個々の歴史的事件や時期はまだ発展ではない。個々の変種や変異が、自然界では種属や種類の発展にはまだならないのと同じである。(チャペック、発展はどこをめざすか、同書、p307)

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・・人類の発展はこの千年間に、まったくあきらかに、ある民族が他の民族を支配せぬ方向をめざしている(補註##参照)。この過程が、さらに他の諸大陸でもずっと起こり続けるという徴候があまりにも多く存在する。
 そこで、今日あちこちでふたたび、征服欲に燃えた帝国主義、権力主義的な発展、貪欲な植民地主義その他がけたたましいのは、どんな意味をもつのか? ある帝国または三つの帝国が、3年または30年で、この千年にわたる世界の発展をひっくり返すのに成功するとお考えだろうか? 現実の発展という観点から見て、これらの試みのすべては、実際にたんなる過去の名残り、時代錯誤(アナクロニズム)で歴史的秩序からの逸脱にすぎない。これはいずれ多少悲劇的にかつ血なまぐさく清算されざるをえない。もっともうまくいく場合でも、それは何十年かの歴史的エピソードで終わるだけだろう。(チャペック、発展はどこをめざすか、同書、p308)

補註## 民族分布地図と地図上の国境線に関する詳細については、若干の補足を必要とする。が、大筋においてチャペック氏の言うことは正しいと思う。

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または別の、とてもゆっくりだが永続的な過程がある。さまざまな国際的関係の継続的な成長と、さまざまな国際的接触の合法化がつねにより明確になっていくことである。世界の歴史の上でわれわれが見るのは、諸民族間での征服者ジンギスカン的な専横と暴力がひたすら消え去りつつあることだ。一つの戦争だろうが五つの戦争だろうが、この長期にわたる世界の文化的政治的発展に反することは、全体としてなにも意味しない。今日の諸戦争のまさに驚くべき非人間性が無意識に証言しているのは、戦争を引き起こす人たち自身が、戦争は世界の秩序の野蛮で気まぐれな破壊なのだと意識していることだ。それゆえその連中は、斧を手にして殺人におもむく人間のようにふるまう。・・・以下、略・・・(チャペック、同書、p309)

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この世界で新しい、現実に新しいものは、この古くからの永続的な発展をさらに続けることのみである。・・・(中略)・・・世界の発展は、その千年の歴史が示している方向を、これからもずっとめざすであろう。それ以外を語るのは、あまりにも理解不足である。(チャペック、同書、p310-311)

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補註 2017年1月11日水曜日・追記 チャペック氏と不生庵さん

チャペック、発展はどこをめざすか 1938年 で描かれている思想は、私には親しい。

また、それは不生庵さんもそのウェブサイトで述べられている。
http://www.ne.jp/asahi/kaze/kaze/profile.html 以下引用。

私がこれまでに心惹かれてきた老子、安藤昌益、中江兆民、ベルグソンなどの思想家、そしてトルストイ、森鴎外などの作家は、同一の思想水系に属する人間たちだった。アナーキズムの系譜に連なる面々だったのである。

現世を容認せず、しかし何時とも知れぬ遠い未来に望みを嘱して生きている単独者は、すべてアナーキストなのだ。その意味では、鴎外によって描かれた「安井夫人」もアナーキストの一人なのである。鴎外は書いている。

 お佐代さんは必ずや未来に何物をか望んでゐただらう。そ
して瞑目するまで、美しい目の視線は遠い、遠い所に注がれ
てゐて、或は自分の死を不幸だと感ずる余裕をも有せなかっ
たのではあるまいか。其望の対象をば、或は何物ともしかと
弁識してゐなかったのではあるまいか。

結婚後、私は自らを「老子的アナーキスト」と自称するようになったが、私の言うアナーキズムとは「待ちの思想」を体系化したものにほかならなかった。テロに走るアナーキストは我慢の足りない突出グループで、本来のアナーキストは専制政治から民主政治へ、戦争から平和へと歩んできたた人類史の流れを信頼して、待ちの姿勢に徹する。妄動しないのである。

無支配共存の理想社会を実現するのは、社会的な革命などではなく、個人の意識革命なのである。人間の意識は、じれったいほど緩慢ではあるけれど、確実に進歩している。

私は漠然とあと四、五百年もすれば何とかなるのではないかと考えていたが、最近の国内情勢・世界情勢をみると、理想社会の実現には数千年の時間が必要らしくもある。いや、数万年かかるかもしれないし、「永久革命」を必要とするかも知れない。しかし、いずれは何とかなる──これが私の「信仰」なのである。

待ちの姿勢を続けているうちに、私は意外なほど長生きをすることになった。所帯を持った頃は、とても60までは生きられまいと思っていたのに、間もなく80才になろうとしている。そして、80を目前にした今も、お佐代さんと同じように目を「遠い、遠い所」に注いでいる。愚者というべきかもしれない。

明治44年に冤罪で処刑された幸徳秋水は「無政府主義の学説はほとんど東洋の老荘と同時の一種の哲学」であると言い、アナーキストは「権力・武力で強制的に統治する制度」に変えて、道徳と愛をもって結合する社会を目指すものだと説明しています。

無政府主義の社会は、暴力革命などを介さず、来たるべきものが来たという形で到来するはずです。なぜなら、上からの強制のない自由な社会で、穏やかに平和に生きたいというのが、人類共通の夢なのですから。人類の歴史は、この人類永遠の夢を実現する過程にほかならぬと思うのですが、いかがでしょう。(041010)
以上、不生庵さんのサイトから引用、終わり。http://www.ne.jp/asahi/kaze/kaze/profile.html

補註 チャペックの死と私たち(2017年1月11日追記)
 上記の不生庵さんの考えの流れに従えば、カレル・チャペック氏も「専制政治から民主政治へ、戦争から平和へと歩んできたた人類史の流れを信頼して、待っている」人であった。生来病弱であったチャペック氏は、この「発展はどこをめざすか」を書いた同じ年、1938年12月、48歳にして病に倒れる。
 チェコ(そして世界は)その後も大変な苦難の日々を過ごすことになるのであるが、チャペック氏には、(私の身勝手な願いに過ぎないと知りつつも)どうしても生き延びて欲しかったと思う。収容所などでの苦難の日々が想定される・・・が、それでも「人生にYESという」こと、「捲土重来期すべからず」という句が私の頭の隅をよぎるのである。(補註 チャペック氏はロンドン(イギリスのタイムズ紙)からの亡命の誘いを断っている。従って、自ら選び取った死というべきかもしれない。・・チャペック氏の評伝を参照ください)

「永遠の生を求めるなら、子や孫や国にではなく、遠い未来の人類に自分の願いを仮託するしか方法はないのだ。」(同じ不生庵さんのサイトより引用)・・私たちはチャペック氏の死からせいぜい80年たらずの「近未来の」人類のメンバーであるが、仮託されたチャペック氏の願い・思いを受け取って、そしてそれを大切に(可能ならば少しでも大きく)育て、そして次の世代へと受け渡すことになるのだろう。遠く・・我が子や我が孫や自国にではなく、遠い未来の人類に眼差しを向けながら。(以上、2017年1月11日追記)

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