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宇沢弘文 社会的共通資本

2018年7月31日 火曜日 晴れ・猛暑(室内も32度!・湿度も高く、エアコンがあったほうが長生きできそうな室内)

宇沢弘文 社会的共通資本 岩波新書 2000年

大学の大衆化、平準化にともなって、一つ一つの大学のもっていた威信はとみに低くなり、それとともに、大学の自由を守り、大学における研究、教育の水準を高い地位に維持するということがますます困難となってきた。(宇沢、同書、p164)

大学の威信は大学の自由を前提としてはじめて存立しうるものであると同時に、大学の自由は、この大学の威信があってはじめて守ることができる。(宇沢、同書、p165)

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高等教育というとき、二つのまったく異質な行為から構成されている。一つは、学問の研究、科学的探究であり、もう一つは、学生の教育である。第一の、学問の研究ということが大学にとって第一義的な意味をもつことはいうまでもないことである。第二の、学生の教育は、副次的な意味をもつに過ぎないが、大学の活動において不可欠となることが多い。それは、学生の教育を通じて、研究の質と成果が大きく影響されるからであるが、学生の教育ということはあくまでも、副次的な重要性しかもたないということは改めて強調しておきたい。大学における第一の機能によって、大学は、他の教育機関と本質的に異なるものとなる。知識の探究、他の実利的、実用的な目的からまったく独立して、知識の探究のみをおこなう場として、大学の本来の存在理由がある。・・・(中略)・・・ それは、学問研究が、自由な精神にもとづいて、しかも科学技術的に最新の知識を用いておこなわれるような環境のもとではじめて実現可能となるものだからである。そこには、大学以外の教育機関にみられるような規律、規則の類いは存在する余地はない。(宇沢、同書、p151)

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・・二つのことがあって、私にはどうしてもケムブリッジに残るという選択をすることができなかったのである。

第一は、カレッジの自由で、闊達な、アカデミックな雰囲気を支えていたのは、その潤沢な基金からの配当であるということであった。それは大部分、かつての英領植民地ローデシアにおける投資からなっていた。イギリスの植民地支配は、人類の長い植民地の歴史のなかでも、きわ立って残虐、陰惨なものであって、人間を徹底的に搾取し、自然を破壊しつくした。その搾取と破壊を考えざるを得なかったからである。

第二は、カレッジのフェローたちの大部分がもっていた、エリザベス女王の騎士として、大英帝国を守っているという意識であった。・・・以下略・・・(宇沢、同書、p160)

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