2019年3月9日 土曜日 晴れ(暖かい)
美濃部美津子 三人噺 志ん生・馬生・志ん朝 扶桑社 2002年
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・・それがとっても綺麗なのよ。切れ長の目が印象的で、キリッとした雰囲気の美人でしたよ。昔はね、田中絹代に似てるっていわれてたのよ、うちの母さんは。(美濃部美津子、同書、p62)
・・だからって愚痴をこぼすでもなく、内職して生活を支え、あたしたちを育ててくれたわけです。 そうね、やっぱりお父さんの芸に惚れてたんじゃないかと思いますよ。お父さんは芸のことだけは一生懸命な人でしたから。(美濃部、同書、p63)
補註: 美津子さんのお母さん・りんさんのお姿を彷彿とさせるということで、今回はパブリックドメインにある田中絹代さんの写真を引用して代用とさせていただくこととした。いわゆる、「写真はイメージです」というわけである。
アイキャッチ画像は、田中絹代。『おかあさん』(1952年)右。左は香川京子 Mother (おかあさん Okaasan) is a 1952 black-and-white Japanese film directed by Mikio Naruse, starring Kinuyo Tanaka in the title role. (Left: Kyōko Kagawa) パブリック・ドメイン File:Okaasan-publicityimage-1952.jpg 作成: 1952年1月1日 ウィキペディアより引用。
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Kinuyo Tanaka in Jinsei no onimotsu (1935: directed by Heinosuke Gosho) ja: 田中絹代『人生のお荷物』(昭和10年・五所平之助監督・松竹蒲田)パブリックドメイン・File:Kinuyo Tanaka in Jinsei no onimotsu 1935.jpg
作成: 1935年1月1日 ウィキペディアより引用。補註:たしかに目はぱっちりと、しかも切れ長である。
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どういうわけか、お客さんには志ん生というだけで何しても許されてた。それこそ高座の途中で居眠りしても、「寝てる姿を見られたんだから、いいじゃないか」って、その場にいなかった人にお客さんが、志ん生が寝てるとこ見たって自慢しちゃう、本当に不思議なことですよ。(美濃部美津子、同書、p144)

補註 そういえば私(=補註者)たちも、パヴァロッティがブドウをムシャムシャ食べているのを見た(メットの「恋の妙薬」舞台で)ことがある・・なんていうのを一生の思い出にしているのと同じことか。
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志ん朝の「うなぎ断ち」
実は志ん朝の守り本尊が虚空蔵様でね。谷中に虚空蔵様を奉った小さなお寺があって、お正月やことあるごとに「芸が上達するように」というんで熱心にお参りしてたの。その虚空蔵様の使いがうなぎだったんですよ。それでお母さんに 「あんたのご本尊のお使いなんだから、うなぎをたべないほうがいいよ」 っていわれたらしいの。それが志ん朝が咄家になったころだから、十九の時ね。以来、四十四年間、好きなうなぎをずーっと食べなかったっていうんです。それだけあの子は芸に身を捧げてたんでしょうね。(美濃部美津子、同書、p133)

稽古熱心
・・お父さんのような天性の素質があって、馬生のように地道な努力も忘れない。二人のいいとこを受け継いで、志ん朝という噺家は、あれだけ大きくなったのかもしれません。(美濃部美津子、同書、p143)
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志ん朝の場合は、明るくて派手なしゃべり口調はお父さんの系統ですよ。志ん朝の芸風を「完璧な文楽型を目指した」と言ってる人がいるらしいんですが、あたしはちょっと違うんじゃないかと思ってるんです。確かに噺としては完璧でしたが、その日の気分によってくすぐりの入れ方が違ったり、いいかげんというかフラ(持って産まれた個性や味)のいいところはお父さんと同し。志ん朝は文楽さん的なキッチリした部分と、お父さんの雰囲気を混ぜるつもりでいたんじゃないでしょうか。(美濃部、同書、p146)
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若い頃から志ん朝は、淡路恵子が好きでね。カワイイってより、きりっと小股の切れ上がった粋な女の人がタイプなんです。おかみさんもそういう人ですよ。(美濃部、同書、p152)
補註 志ん朝の落語のマクラを聴いた限りでは、志ん朝のおかみさんは普段は上下にジャージ(体操服)をまとい、元気よく活動している女房として描かれているが、実際はどうだったのだろう? 「小股の切れ上がった」の意味については、以下のサイトなどを参照して下さい。結局、今になってもこの言い回しの意味は私=補註者には分かっていないのである。
「小股の切れ上がった」の意味:
「小股」には、完璧な定義がありませんが、小股を『男性が惹かれる(魅力的に感じる)女性の姿態』と捉えるならば、「小股が切れ上がっている」は、『男性が惹かれる女性の姿態が強調されている』という意味になります。 https://extraordinary.cloud/komata.html 大げさな表現を嫌い、照れ屋の江戸っ子らしく「自分の好みの女性」を表現した江戸庶民の言葉が、「小股の切れ上がったいい女」です。 江戸っ子の使う「小」には江戸っ子言葉特有の意味があります。江戸っ子言葉の「小(こ)」は「少し・ちょっと」の他に「すごく・とても」という意味でも使われます。 例えば、部屋に招かれたとき、「とても綺麗な部屋だね」と素直にほめずに「小綺麗(こぎれい)にしてるじゃねぇか」と言います。 「小股の切れ上がったいい女」は簡単にいうと『すごく魅力的な女性』のことです。https://extraordinary.cloud/komata.html より引用。
小股ってよくわからない: http://tak-shonai.la.coocan.jp/intelvt/intelvt_031.htm「小股ってどこか」 よりも大切なこと「よくわからない」 まま置いておく美意識 このサイトのダイジェスト版: http://tak-shonai.cocolog-nifty.com/crack/2005/10/29_643a.html
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補註 そういえば、「切れ長の目」という言葉も、意外と難しい。「切れ長の目」というのは、「目じりが細く、切れ込んでいること」と辞書にある。「目尻が切れ込んでいるということは、目全体が目じりに向かって細く伸びている目なので、目の大きさや細さではなく、形を表している。・・切れ長の目は、英語では「almond eyes」「slit eyes」と言います。almond eyesというのは、アーモンドのような目尻側が細くなっている形から。slitというのは切れ込みのこと。」https://pouchs.jp/popular/9WnZSy 現代ではお化粧その他の技術が進歩しているので、メイク次第で目を丸く見せたり切れ長に見せたりできる。https://pouchs.jp/popular/9WnZS?page=3
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