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死後の戒名が一般化した経緯

保坂俊司 癒しと鎮めと日本の宗教 北樹出版 2009年

逆修戒名:

「逆」という字の意味は、「あらかじめ」という意味・・・だから、「逆修」の意味は、あらかじめ修めておくということになり、生前に受戒しておく、戒名を受けておくという意味となります。(同書、p165)

「十王経」というお経の存在:

このお経には二種類あって、・・・どちらも十王経ですが、前者は中国の蔵川という僧がインドでできたお経と偽って書いた偽経、後者は日本人が蔵川に仮託して書いた偽経です。・・・ここには現在の我々もよく耳にする、閻魔大王の裁きを頂点とする冥府の行程とそこでの光景が書かれており、さながら冥土双六図になっているのです。この「十王経」と、源信の「往生要集」で示された地獄極楽の光景が、日本人の来世観を作り変えてしまった(同書、p165-166)

逆修だけでは不十分と考えるような風潮も生まれた・・・生前の積善行為に死後の遺族の回向をセットで認める日本独自の「十三仏事」。「十王経」が「十仏事」でしたから、三つ増えたのです。つまり、七七日に一〇〇日、一年、そして三年の各遠忌を加えて「十仏事」、それに七回忌、十三回忌、三十三回忌を加えて「十三仏事」としたのです。・・・日本仏教には、思いのほか神道の影響が大きいのです。特に、この逆修の考えかたを推し進めたのは、他ならぬ日本古来の発想いわば古い神道的発想です。(保坂、同書、p172-173)

逆修儀礼で救われる人びと:

「十王経」に見られるような教えを前提とすると、死後の世界は出家者が優遇されるということになります。ならば、出家して死を迎えれば、結果として死後の世界では僧侶の待遇が受けられる。つまり、一〇の関所を通らずに極楽にいけるということになります。・・・かなり古い時代から、駆け込み出家はあったのです。 その風習が死の直前の出家から、葬儀の直前に戒名を授かり、形ばかりの出家作法を受け僧侶となる作法となりました。そして、現在の葬儀の殆どはその儀式を基本としています。ですから葬儀の作法は、没後作僧(もつごっそう)であると言われるのです。この修行途中の亡僧侶に対する葬送儀礼が、現在の各宗派の葬送儀礼のひな形になっていると言われています。(同書、p178-179)

俗人もあの世に旅立つ前に、出家させて名実ともに僧として旅立たせようとしたのが、この「没後作僧」の儀礼であった・・・ですから臨終後まもなく戒名は付けられます。というのも葬儀の前までは形式的には死は完成していないからです。ですから葬儀の前に出家させれば僧と同等の扱いを受けられるというわけで、死後の戒名は一般化したのでしょう。(同書、p181)

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なぜ僧は戒律をすてたか?

明治政府は伝統仏教の否定に熱心でしたが、しかし太政官令が出たからといってそれを口実に僧侶が、僧侶のままで妻帯し、あたかも俗人のごとく寺に住み、さらには寺を所有するということが、簡単になされたことに驚きを禁じ得ないのです。
 それは本来お門違いの法令だからです。つまり世俗法が宗教法を捻じ曲げるというようなことは、本来ゆるされないのです。(同書、p184-185)

現代の戒名はこの戒律のない僧から戒を貰うという矛盾の上に成立している習慣です。その意味で、現代の仏教への批判には根源的なものがあるのです(同書、p185)

葬式仏教として定着した近代以降の仏教は、実際に死に向かう人々の魂の救いや鎮めといった仏教が古代から担ってきた役割を再評価するまでに至っていない(同書、p207)

日本社会では、生きる意味の探究や死に瀕した人々の精神の問題は、未だに宗教の領域からほど遠いというのが現状(同書、p209)

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