法然の専修と大らかさ

2018年2月20日 火曜日 曇りときどき雪

阿満利麿 法然入門 ちくま新書918 2011年

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 どうして矛盾する説法ができたのか
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 では法然がこのように、念仏の仕方について相矛盾するような説き方(=対機説法)ができたのはどうしてなのか。
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 念仏の二重性
 それは、念仏には私が念仏するという一面と、他方、阿弥陀仏が私のなかではたらいているという一面があるということによる。(阿満、同書、p129)

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・・法然がひたすら、一向に、異事を願わず、もっぱら念仏に励むのは、念仏によって浄土に生まれて、さらに仏になり、さらに慈悲を自在に行使できるようになることを目指している、ということだ
 そうでなければ、ひたすら念仏するとか、一向に念仏するといっても、どれだけでは偏執のそしりをまぬがれないであろう。偏執とも思われるような決断の持続のさきには、慈悲の実践という目標があるのだ。この目標を忘れては、専修念仏という「専修」は独断と偏見の代名詞となるだけであろう。(阿満、同書、p183)

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