2022年12月15日 木曜日 雪(夕方からしんしんと降っている。積もりそうだ。)
林千勝 近衛文麿 野望と挫折 WAC 2017年
・・日米諒解案(昭和16年4月17日)・・
・・背景にあるアメリカ側の狙いは、正式ルートとは別の交渉ルートをつくることにより、日米和平交渉を混乱・攪乱することにあったと考えられます。ハル国務長官とルーズベルト大統領は、これを民間ベースの話し合いとして適当に泳がせながら、交渉を長びかせ、交渉がまとまることは巧みに回避させたのです。 近衛のほうも、近衛の計算でこの仕掛けに相乗りしたと思われます。 (林、同書、p178)
・・しかし、ハルはしたたかに(日米諒解案と)同時にハル四原則なるものも野村大使に提示していました。次の通りです。
① いっさいの国家の領土保全および主権の尊重
② 他国の国内問題への不干渉
③ 通商上の機会均等
④平和的手段による以外、太平洋の現状を変えない
ハルは周到に諒解案と四原則の二本立てを用意したのです。この二つはまったく正反対の内容です。アメリカが四原則をそのまま前面にだせば諒解案とは相いれない。にもかかわらず、野村大使は諒解案に飛びつき、これを頼みの綱とし、四原則のほうを日本に報告しなかったのです。四原則をきちんと読めば、アメリカが日本と妥協する気がないことは一目瞭然でした。(林、同書、p184)
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「支那事変から対米開戦へそして日本の全面的敗北、併せて天皇退位と米軍進駐、近衛による親米政権の樹立」が覇権獲得にむけた近衛のメジャーシナリオです。そして、可能性が低いものの念のための想定としてのマイナーシナリオが、「ソ連をバックとした敗戦革命」でした。
北進論すなわち対ソ戦はこのメジャーシナリオの進行を妨げるものであり、同時にソ連の力を弱めるという観点からマイナーシナリオにも悪影響を与えます。共産主義者たちはマイナーシナリオのほうに没頭していました。(林、同書、p185-186)
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