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・・そういう死には犠牲の壮烈と美しさがあるかもしれないが、それでもなお、生きぬいてゆくことには、はるかに及ばないだろう。

2021年3月19日 金曜日 曇り(時々晴れ間)

山本周五郎 樅ノ木は残った 新潮文庫 昭和38年(初出は昭和29〜30年)

「どうしても思いとまる気はないのか」
「はい」と、丹三郎が答えた。
「ばかなやつだ」と甲斐は呟いた。
もちろんそれはべつの言葉と置き替えるべきものであった。そしてまさしく、丹三郎はそれをべつの言葉に置き替えて受取った。たとえば甲斐が黙っていたとしても、丹三郎にはよくその心がわかったであろうし、甲斐もまた、丹三郎が理解するだろうことを知っていた。
甲斐は「よし」と云った、「それを惣左に渡してまいれ、今日はおまえが供をするのだ」(同書、上巻、p511)

丹三郎は「自分の死は御役に立つであろう」と云った。主人のために身命を惜しまないのは、侍の本分ではあるが、誰にでもそう容易に実践できることではない。甲斐は丹三郎を知っているし、彼の性質としてそういうことを口に出して云う以上、そのときが来れば死を怖れないだろう、ということもわかっていた。
――だがおれは好まない。
国のために、藩のため主人のため、また愛する者のために、自からすすんで死ぬ、ということは、侍の道徳としてだけつくられたものではなく、人間感情のもっとも純粋な燃焼の一つとして存在して来たし、今後も存在することだろう。――だがおれは好まない、甲斐はそっと頭を振った。
たとえそれに意味があったとしても、できることなら「死」は避けるほうがいい。そういう死には犠牲の壮烈と美しさがあるかもしれないが、それでもなお、生きぬいてゆくことには、はるかに及ばないだろう。(同書、p514-515)

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cf. 青空文庫

底本:「山本周五郎全集第九巻 樅ノ木は残った(上)」新潮社
1982(昭和57)年11月25日発行
初出:「日本経済新聞」
1954(昭和29)年7月20日~1955(昭和30)年4月21日

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