philosophy

ニヒリズムの第五形態

中島義道 人生に生きる価値はない 新潮文庫 平成23年 電子書籍版の発行は2015年1月1日

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ニヒリズムの第四〜第五形態

以下は、中島、人生に生きる価値はない、キンドル版 69% No.2038 より引用。(箇条書きはHHによる)

1.ニヒリズムの第一形態: 「何もないのにあるかのように見せかける」詐欺集団。ユダヤ=キリスト教とプラトニズム。

2.ニヒリズムの第二形態: しかも、その嘘を暴いてもやはりわれわれはその詐欺師たちの吠え声の残響のうちにあって、何か別の意味(目的)を求めてしまう。とりわけ、弱い善人どもはわめき散らす。「神が死んだとすると、生きてはいけない! たとえ嘘でもいいから、幻でもいいから、生きる意味がほしい!

3.ニヒリズムの第三形態: 何に対しても傷つかないためには、何も期待しない方がいい。だまされないためには、何も求めない方がいい。こうして、すべてを受け容れすべてに耐えるのだ。これをニーチェは「弱さのニヒリズム」あるいは「受動的ニヒリズム」と呼ぶ。
 すべては意味がないことをそのまま潔く認めて、心の安寧を得るという生き方(同書、キンドル版 69%)

4.ニヒリズムの第四形態(ニーチェ版): あらゆるものが無意味であることに耐え、そのことを意志し、超人への道を歩むこと、これが「強さのニヒリズム」あるいは「能動的ニヒリズム」である。

以上、中島、人生に生きる価値はない、キンドル版 69% No.2038 より引用。(箇条書きはHHによる)

4’.ニヒリズムの第四形態(中島版): キリスト教とプラトニズムへの怨念をニーチェと共有していない私の体感にそった理解では、ニヒリズムとは、ただこの世で生起することはすべて何の意味(目的)もないこと、このことをとことん「味わい尽くす」ことだけである。
 慰められたい、救われたい、安心したい、楽になりたい・・・という欺瞞的甘みを一滴も加えないで、この世で生起するあらゆる事柄を飲み尽くすこと。しかし、このことは虚心坦懐に事柄を観察するだけでは、心を清澄に保つだけでは、到底達せられない。われわれは、気がつくと、またずるずる何らかの意味を求めてしまうのだから。
 そういう力に抵抗するには、さらに強い力が必要である。「力への意志」とは、私(中島)にとってこの単純な意味をおいてほかにない。それは、さしあたり「書くこと」であった。・・・(中略)・・・こうして一定の言語空間において「力」を獲得すること。(同書、キンドル版 70%)

5.ニヒリズムの第五形態(中島版):「明るいニヒリズム」は、カントとニーチェを結ぶところに発生する。それは、まずわれわれ人間に降りかかるこの世のあるいはこの世を超えるすべての事象が完全に無意味であることを認めること、とりわけわれわれが最も関心を持つ超越的対象(神、魂、自由)の意味の確定はわれわれ人間の能力を超えていることを潔く認めることなのだ。
 しかも、「神は死んだ! 死後、私は永遠の無である! 善悪のいかなる基準もない!」と叫ぶことを控え、たぶんそうかもしれないと思いつつ、そうではない可能性を握りつぶすわけでもない。独断のまどろみから遠く離れながらも、懐疑の大波が押し寄せる瀬戸際で、どうにか身をもちこたえている。この危なっかしい狭い土地にいつまでも留まり続けること、そうするとある種の人はなぜか「明るくなる」のだ。
 カントは、・・・(中略)・・・「明るかった」のである。

中島、同書、キンドル版72% No.2122 より引用。

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・・・(参考)・・・

三つのニヒリズム(再掲)

1) 「神」が死んだという普通の意味でのニヒリズム。
2) 「神」が生きている(だが<神>は死んでいる)という根源的なニヒリズム。
3) 徹底的に「神」が死ぬ(だから<神>が生き返る)という徹底的なニヒリズム。

永井均「これがニーチェだ」 講談社現代新書 1998年 p87 「三種類のニヒリズム」の項より引用。

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