philosophy

自分自身の不幸のかたちを選ぶ(1)

2015年4月5日 日曜日 曇りのち雨

中島義道 不幸論 PHP新書 2002年

土曜の深夜から日曜の夜まで、2日間(20時間弱の時間経過のあいだに)読了。

「幸福」はいつも、到来の偶然性という外的側面と、こころの充足感という内的側面の二重性を有している。幸福は外的(社会的)に決定されるものではない。といって、それは外的状況を離れて自分の心的状態だけで決まるものでもない。まさに、この両側面の共働(拮抗)のうちに、固有の領域をしめるのだ。(中島、同書、p27)

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幸福のクライテリア:

「幸福」とは、・・・基本的には次の四本の柱の上に建っているように思われる。
(一)自分の特定の欲望がかなえられていること。
(二)その欲望が自分の一般的信念にかなっていること。
(三)その欲望が世間から承認されていること。
(四)その欲望の実現に関して、他人を不幸に陥れない(傷つけない、苦しめない)こと。
(中島、同書、p27-8)

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(四)その欲望の実現に関して、他人を不幸に陥れない(傷つけない、苦しめない)こと。 ここで、すべての他人を苦しめないというふうに条件をきつくすれば、ただちにだれも幸福にはなれないことが導かれる(結局、私はそう言いたいのだが)。われわれが生きているとは、他人を苦しめて生きていることだからであり、だれをも苦しめずに生きることはできないからである。(同書、p43)

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宮沢賢治は「農民芸術概論綱要(序論)」において、「世界がぜんたい幸福にならないうちは、個人の幸福はありえない」という。これは単なる理想論ではなく、幸福の真相である。たとえ、われわれが「幸福だ」と呟いたとしても、全人類に及ぼす波及効果を徹底的に思案してみれば、とうていそうは言えないことに気づく。
つまり、幸福は、盲目であること、怠惰であること、狭量であること、傲慢であることによって成立している。それが私の基本的考えである。
このことは、慎ましい幸福の場合、とくに顕著であるように思われる。・・・(中略)・・・そして、私はまさにこうした図式こそ、盲目で怠惰で狭量で傲慢であると言いたい。
幸福とは、拡がりのある概念であって、ある一点に焦点を当てれば、自分の望んでいたことがかなえられたとしても、自分の信念に冷静に照らし合わせてみたり、世間の声に耳を傾けたり、他人に及ぼす波及効果まで視野に入れると、ーーー暴力的に思い込むのでない限りーーー単純に幸福に到達したとは言いきれないのだ。(同書、p50-51)

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生きがいないし喜びを感ずる仕事が、幸福の四条件を充たすことはわかりやすい。・・・(中略)・・・だが、才能豊かであってかつその才能を発揮する場が与えられた人は、恵まれていればいるほど、最後の(四)の条件をクリアできないのだ。
彼らは、膨大な数の人に喜びを与えているだろう。だが、同時にそうしたくてもできない多くの人を、彼らは不幸にし、苦しめ、傷つけているのである。
このことに彼らは鈍感であってはならないと思う。・・・(中略)・・・彼らはみずからの才能と成功に対して負い目をもたなければならないように思う。(同書、p69-70)

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幸福とは、思考の停止であり、視野の切り捨てであり、感受性の麻痺である。つまり、大いなる錯覚である。世の中には、この錯覚に陥っている人と、陥りたいと願う人と、陥ることができなくてもがいている人と、陥ることをあきらめている人がいる。ただそれだけである。(同書、p110)

ただ、その人固有の欲望をしっかりつかんで、その欲望を磨き上げるべきだと思うのである。そうすれば、彼(女)は固有の不幸を体験できるであろう。(同書、p198)・・・(中略)・・・かえって、幸福という錯覚に陥りつづけていられる善良な市民は、自分固有の不幸の「かたち」を鍛える機会が与えられないからこそ、ごまかし通して生を駆け抜け、そのまま死んでいくのではないか。(同書、p200)

幸福になろうとすること、それは自分自身を選ぶことを断念することである。自分自身を選ぶこと、それは自分自身の不幸の「かたち」を選ぶことである。・・・(中略)・・・自分自身とは何か、それがどこかにころがっているわけではない。「そのままのあなたでいいの」という甘いささやきが表すような安易なものでもない。
それは、各人が生涯をかけて見いだすものだ。しかも、それはあなたの過去の体験のうちからしか、とりわけあなたが「現におこなったこと」のうちからしか姿を現さない。とくに、思い出すだけでも脂汗が出るようなこと、こころの歴史から消してしまいたいようなこと、それらを正面から見すえるのでない限り、現出しない。(パウロの棘のように)あなたを突き刺すあなた固有の真実を覆い隠すのでない限り、見えてこない(*脚注参照)。
幸福は、こういうことをすべて考えないようにすることによって成立している。
だから、あなたは自分自身を手に入れようとするなら、幸福を追求してはならない。あなた固有の不幸を生き続けなければならないのである。(中島、不幸論、p203-4)

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*HH注:この部分、二重否定文、かつ条件とその帰結という構造になっているのでスムーズには理解しづらい。たとえば、以下のように改変して理解したら少しわかりやすいと思う。「あなたを突き刺すあなた固有の真実を抉りださない限り、見えてこない」・「あなたを突き刺すあなた固有の真実を抉りだすことによって初めて、見えてくる」、あるいは、「あなたを突き刺すあなた固有の真実を、覆いを取り払って正面から見すえない限り、見えてこない」・「あなたを突き刺すあなた固有の真実を、覆いを取り払って正面から見すえることによって初めて、見えてくる」、など。

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