culture & history

稲作民族の水田確保のための国取りは長い年月を要した

2016年3月6日 日曜日

一戸良行 古代がみえてくる本ーー毒からの発想ーー

のちに侵入する騎馬民族とは異なり、稲作民族の水田確保のための国取りは長い年月を要した。

烏頭を「意宇(おう)」と言う種族と「スルク」と言う種族

この頃(弥生時代後期)までは、出雲地方は烏頭(トリカブト)を「意宇(おう)」と称する種族と「スルク」と呼ぶ種族が仲良く生活していたと推定する。・・・このような解釈からアイヌ民族よりも「意宇(おう)民族」の方が古く、先住民族であったことが推定でき、地名として判然と残っているところからアイヌ民族が意宇(おう)民族より後進の種族であったことが想像できる。「出雲風土記」に見える意宇(おう)郡の条・「国引き神話」は、稲作民族の水田確保のための国取り物語と解釈される。・・のちに侵入する騎馬民族とは異なり、長い年月を要したことを述べている。稲作民族ですら、武力的ではないにしろ毒矢を使用する狩猟民と戦いながら日本古来の先住民と物質交換などの経済戦により領土(水田)を拡大していったのである。(一戸、同書、p103-104)

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