学ぶこと問うこと

臥薪嘗胆を忘れる

 

2005年5月13日

臥薪嘗胆を忘れる

S大学での7年目の春シーズン(2005年)が始まった。春になって急に、いっぺんに5つ論文書くぞ、と頑張り始めたためか、このところ左の座骨神経痛に悩まされている。廊下を歩いているときにおしりに手を当ててよたよたと脚もとりが悪いのは、この神経痛のせいである。ほのかではあるが右も痛いようだ。3歳の子供に急に何か難しいことをやらせると、激しい知恵熱が出て寝込んだり、暫時、足が立たなくなって退行するのと、同じ現象ではないかと考察している。時が解決してくれると慰めている。

昨日は標的化抗体パテント明細書の修正を完成させて弁理士さんに送った。来週には出願の予定。ひとつの仕事の一里塚に到達できて気持ちがよい。出願の次は英語の論文書きであるが、今度のは10年来の仕事のはじめての成果であり、私の代表作のひとつとなるはずで、気合を込めたい。最初の1行から、自分の英語で書き下ろしにする予定。そんな意気込みが、余分な力みを生み、神経と骨のきしみになって症状に現れるのだから、やっかいである。やっぱり、今まで通り、無理しない方がよいかもしれない。そんなわけで、論文、未だに一行の英語も書き始めてないのである。 構想に**年*ヶ月、英語の一行目を書いてからは3日で完成、という、お手本のような論文を書くつもりなので、期待していてください。

この春は、昨年度の備品予算の余りで、教授室に2枚事務机を買った。ひとつは、コンピュータ用のU字のくぼみをもつ曲線天板。もう一つは、ディスカッション用の楕円曲線風長方形のもの。ともにプラスチック合板の天板と、スチールの脚でできたシンプルな普通の事務机で、頑丈ではあるがいたって質素なものである。しかし、天板を明るい木目にしたので、どことなく部屋が明るくなった。今まではディスカッション机のまともなものが無かったのである。10年以上前に自分のお金で買ったイタリアンデザインの小さな丸テーブルを、引っ越しで持ってきて、そのまま使ってきた。直径60cmであるから、定員はせいぜい3人。4人で取り囲むと、小さい。これなら親密なディスカッションができるはずで、実験データの検討にはベストなはずであるが、だいたいの部員は丸テーブルから2メートルも離れて、さらにふんぞり返って、テーブルの中心点と自分を結ぶ直線に対し約85度ほど体軸をズラしてディスカッションを傍観・傍聴しているので、親密に額をぶつけ合いながらの熱烈議論を目指した初期の作戦は成就できない。小さな丸テーブルの欠点は、とかくものを落としやすいこと。当部のノートを広げると、幅が420mmあり、直径600mmの丸テーブルからディスカッションの最中に何度でも落としてしまう。私自身がこの小さな丸テーブルを上手に扱えていない。一方、事務机も、教授用として、普通の両袖スチール机がひとつすでに備え付けられていたのである。この机、6年前のセットアップの時、部屋のレイアウト変更のため移動させようとしたら、薄いプラ天板がスポッと抜けてしまい、その作りの安っぽさに落胆したのを覚えている。こちらに引っ越してくる前は、ロルフ・ベンツに身をうずめながら、コルビジェやヤコブセンのデザインを調べ、ザ・チェア、ザ・デスク、といった感じで将来のファニチャー構想をプランニングしていた私には、理想と現実とのギャップが大きかった。とても、コルビジェやヤコブセンの似合う状況ではないのだ。現実を真正面から見つめなければならない。そこですぐに、現実路線へ進路変更。教授室には当座、新しい机やテーブルを買わず、引っ越してきた当時のものでそのままいくことにした。良い仕事をひとつでも完成するまでは、臥薪嘗胆、オフィス家具はいらない、とした。そうして6年が過ぎた。部員たちは丸テーブルから控えめに遠く離れてふんぞり返り、私は丸テーブルから何度でもノートを墜落させ、いたずらに角のとんがらないノートたちになっていった、、、

しかし、10数年の歳月が流れる間に倒れるのは、居眠りしている部員や、私の綿密な実験計画だけではない。このおしゃれなイタリアンの丸テーブルは、電気掃除機のコードを引っかけただけでも倒れ、知らずに後ずさりして寄りかかっただけでも倒れ、ともかく倒れやすいのである。このテーブルの天板は、安物のプラ素材ではなく、重量感ある天然木の贅沢品である。栗材の天板ボードが、相重なる転倒による衝撃によって破壊され、合板の本性がむき出しになり、結果、辺縁がひどくささくれ立ってしまった。このまま放置して使用を続ければ、ディスカッションに我を忘れた部員の拳や手のひらにささくれが突き刺さり、血みどろのディベートになる危険もゼロとは限らない。それどころか(!)、その鋭いささくれが矛先を転じて、このテーブルを常日頃抱きかかえるようにして使い続けている私自身をも、格好の標的とする確率は極めて高い。それを承知の上で、私は10年以上もこの丸テーブルを愛用してきた。ささくれ部分はカッターナイフとヤスリでブラントエンドとし、さらにスコッチテープでライゲーションを完成させた。プラスミドDNAであれば、K12株をトランスフォームすることにより完全にニックが修復されるのだが、丸テーブルは修復酵素が働かず、エントロピー増大の方向に進みつづけた。そろそろ、新しいのを買いたいと、4,5年来、思い続けてきたのである。が、上記、臥薪嘗胆の決意が真新しく、そのまま使ってきた。

この春、意を決し、とうとう上記ディスカッション机などを買ってしまった。モダンなおしゃれな雰囲気の中で部員とディスカッションできるように、というカイゼンである。6年にして、やっと、ひとつの仕事が成功したという記念でもある。特に、気を配ったのは椅子であり、明るい色彩で座り心地の良い肘掛け付きのディスカッション椅子を3脚備えた。ヤコブセンの雰囲気まではいかないものの、機能のエッセンス部分だけは負けないと思われる。ブルー、グリーン、オレンジ、の3脚、部員の皆さんは、自分の好きな色の椅子を選んで腰掛けていただきたい。右左の2つのレバーで座面の高さや背もたれの角度・強度など繊細な調整ができるはずなので、ディスカッション中に余裕のある部員は、カスタマイズに挑戦してみて欲しい。

さて、これらのテーブルや椅子は、色はカラフルなものではあっても、依然、質素な事務椅子、事務机であり、若干の快適さは増したものの、臥薪嘗胆を忘れて、、、という今回のタイトルには、到底、結びつかない商品群である。この教授室に真っ黒なコルビジェが運び込まれるまでは、私の臥薪嘗胆の気持ちは変わらないと思っていただきたい。だから、問題は、そこにはない。

問題は、廃業したはずの丸テーブルにある。このテーブルは、今よりさらに貧乏な頃に、背伸びして私財をはたいて、おしゃれなデザインのを買った想い出もあり、傷だらけになってはいても、なかなか捨てられない。貧乏性なのだ。そこで、このテーブルを部屋の片隅に押しやるものの、電気ポットと小さな中国急須をおいて、中国茶を飲むコーナーとした。話はそれよりもずいぶん前に遡るが、(最近帰国した整形の)留学生のLさんのプレゼントしてくれたウーロン茶は素晴らしく高級なものであった。ふるさと津山の今頃の季節、晩春の小川のほとりの田んぼのレンゲ畑の、田植え前のレンゲを刈り取った後の、レンゲの干し草が強い日差しに乾いて、甘いほのかな草の香りがする、そんな上に寝そべって、5月の少しもやっとした青空を見ているうちにゆっくりと日が傾いていく、そんな感じの、空にすわれそうな15の心を思い出させるような、味わい深い香りだ。話はさらに遡って、昔から、ウーロン茶は愛好している。ボストン時代も、わざわざ中華街までお茶を買いに行くこともあった。札幌に来てからは、S大学のすぐ近く、大通り西17丁目にも中国茶の専門店があったので、ちょくちょく買いに行った。その店が無くなってからは、近所に適当な店が無く、今はもっぱらネットで購入している。ネットでは、福袋とか、年に一度の半額セールとかを、盛んにやっており、「お買い得品」をついつい買ってしまう。貧乏性の症状のひとつだ。「お買い得品」の代表、PR茶は熟成されたもので賞味期限なし。これは少量のお茶っぱで、いくらでも濃い茶色のお茶となる。味はちょっと灰っぽい古びた味わい。日本のほうじ茶に近いかもしれない。悪くない。「お買い得品」の双璧、L紅茶は甘い香りがして、悪くない。これも少量のお茶っぱから大量のお茶を抽出できる。しかしながら、上記二つに比べると、各種のウーロン茶は、金額的には極めて値段が高いが、その香り味わいには、奥行き深みにおいて大きな感動がある。ウーロン茶は薄く入れるよりも濃く入れた方がずっとおいしい。4煎めぐらいまではOKだが、以後はお茶の色も味も出なくなる。従って、PR茶やL紅茶に比べて、ウーロン茶の消費は速い。普通は一袋30グラムからせいぜい50グラムぐらいの単位で売られている。だから、すぐに一袋が終わってしまう。現在、PR茶やL紅茶は、100グラム入りの大袋を2組ずつストックされている。が、なかなか減らない。そこで、ついに、臥薪嘗胆だ。PR茶やL紅茶を飲みながら、臥薪嘗胆で頑張って仕事しよう。良い仕事を世に問えるまでは、ウーロン茶は控えよう、というキャンペーンを発案した。

しかし、最近、L氏が、自分が食べるアイスクリームを我慢して、私にウーロン茶をプレゼントしてくれた。こんな幸運はきわめて稀なことだ。その100グラム入りの缶を職場に置いて、特別良いアイデアが欲しいとき、特別疲れたときや、特別に意気消沈したとき、特別に怒りがこみ上げるときなど、ともかく特別の機会にだけ飲むことにした。このお茶の缶を開けたときの香りがまた、上記、Lさんからいただいたお茶と同系統の、晩春の干し草の寝床のふくよかさだ。缶を開けただけで少年時代をどことなく思い出すというのは、魔力だ。で、PR茶やL紅茶と並べて、このウーロン茶も飲んでいる。それから、いくらも月日が経過せず、ぱっとした仕事もしていない。が、ウーロン茶は、どんどん減ってゆく。毎日、夕方になると、臥薪嘗胆を忘れたことを反省している。今日で最後の1煎。特別良いアイデアが不足していること、特別神経痛がひどいときや、特別にがっかりしたデータなどが、日常茶飯事、特別な事象が非常に多かった、のである。

高いウーロン茶ではあっても、見逃しやすい実験のミスを見つけたり、あきらめてしまいそうなところをアイデアをひねり出して何とか粘って実験の成功に結びつけたり、そんな難しいところのぎりぎりのところで、ひょっとして役立っているかもしれないから、決して高過ぎはしない、のかも、知れない。その程度の自己投資は、安いものかも知れない。要は、癌(をはじめとする難病)と戦う気持ちを忘れなければそれでよいのだ。

と、まあ、上記のような合理化はいくらでもできるものの、私は、臥薪嘗胆を忘れやすく、経済力以上の高級なものを好む傾向にあるのは確からしいのだ。3歳のころから、こっちとあっちとどっちが高級? と伯母に尋ねて、必ず高級な方を選んで買っていたものだ、と、私を幼い頃から世話してくれた富子伯母さんがいつも懐かしそうに話してくれた。

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<以上、2005年5月13日付けのWEBサイトより再掲>
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