literature & arts

チャペック 小品集 こまった人たち

2016年12月20日 火曜日 曇り

カレル・チャペック こまった人たち チャペック小品集 飯島周編訳 平凡社ライブラリー 2005年(オリジナルは主に1936-38年頃発表の著作)

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補註 ポケット短編集
読んでいると、星新一のSFショート・ショートを彷彿させられる。チャペックのショート・ショートと呼ぶべき小品集。

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クノテク氏は実際に自分がもうそれほど深い怒りを感じていないのに気がついて、いささか妙な気分になる。なんとなく平穏で、ほとんど気持ちがいいくらいだ。それじゃポリツキー氏を許してやろう。氏は呟いた。そしてあのシェンベラには、どうすべきか教えてやろうーーー。(チャペック、同書、光輪、p78)

補註 光輪(1938年発表)
この短編を読むと、「絶対製造工場」のモチーフを連想させられる。過剰な宗教的な心情が「奇跡」を生みだし、その有り難迷惑の「奇跡」が日常生活を大きく阻害するーーーこれは「絶対製造工場」でもさまざまな形で描かれている。

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その日以来、トムシーク氏はもはや翔ぶことができなくなった。(チャペック、同書、空を翔ぶ男、p101)

補註 空を翔べた男(1938年発表)
この短編では、「荘子」にでてくる「混沌死す」の場面を思いだす。大学教授が「混沌」に穴を穿ってしまうのだが、体育版であるのが面白い。同じく「荘子」のなかで出てくる、都に優雅な歩き方を習いに行って、歩けなくなって這って帰ってきた男の寓話の現代版である。それを思うと寓話集にさまざま描かれる「荘子」の姿は、2000年前のチャペック氏の顕現かもしれない。

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だが、その紳士(当の新聞の編集長)はやっと眼鏡をはずし、驚いたとばかりに言った。「でもあなた、われわれは新聞のために記事を書いてるんですよ! われわれは事実を読者にアピールするように提供しなければなりません。そう思いませんか? なぜあなたがお怒りになるのか、わたしには理解できません・・」 今なら、もうわたしはそれほど腹を立てないだろう。人間は慣れてしまうものだ・・そして、おそらくほかに仕方がないだろうな、と思う。きみはきみ自身の人生を生きよ。だが、きみについて他の人たちが持っている像は、すでに相当に実物と異なっている。君のその像が、一人歩きして、勝手に公衆の間を歩き回らないうちは別だが!・・・(中略)・・・ さあそこで、正直わたしにはわからないのだが、あの新聞記者の若者は、実際になにか真実をつかんでいたのではないか・・そう、少なくとも、一般人や世間にとって真実であるなにかを。(チャペック、同書、インタヴュー、p116-117)

補註 インタヴュー(1938年発表)
 ここでは作者チャペックはインタヴューを受ける側(=指揮者のピラート氏)の視点に立っている。チャペック氏自身もリヴァプールやロッテルダムでは新聞社からのインタヴューを受けて、あることないこと描かれた経験があることだろう。
 一方で、チャペック氏はチェコの人民新聞に所属するジャーナリストでもある。時には新聞記者の立場で、あることないことお茶目なユーモアたっぷりで描いて、大人気を得たこともあったのではなかろうか・・そう想像すると、何重もの入れ子構造になっているようで微笑ましくも面白い。(補註の補註**、参照)
 この「インタヴュー」という小品でも不羈奔放に発揮されているお茶目な描写は、チャペック氏の独擅場(どくせんじょう)とも言える文学世界である。その才能は、「園芸家の一年」のエッセイでも、あるいは、「山椒魚戦争」などの長篇の描写中でも、遺憾なく発揮されている。
 
 ところが、同じチェコにはほら吹き(と言っていいだろう)のハシェク氏がいる。ハシェク氏は動物学雑誌に(彼が新規に創造した)動物たちを延々と描いた経歴の持主である。ハシェクの「兵士シュヴェイクの冒険」の中でシュヴェイクの語りの中に延々と展開される「お話し」の面白さは、格別である。このユーモアの世界作りは、ひょっとしてチェコ人民のお家芸とも言えるものかもしれないと思ったりする。
 また、同じプラハの住民で、ただしドイツ語で小説を書き続けたーーーカフカ。かれの描く世界の描写は、詳細で不思議な現実感がある。初めて出会ってから40数年を経た今も、私の心に食い込んで離れない。
 チェコのほぼ同時代に生きた文学者たち、ハシェク、カフカ、そしてチャペック、そののユーモアの、そして苦悩の、幾重にも覆われた層は厚く、いつかは深く分け入ってみたい。そんな奥ゆかしさを感じている。

補註 インタヴュー
この小品に登場する指揮者のピラート氏、その名前は聖書に出てくるローマの総督ピラトに由来して、チャペック氏が何らかの意味を付与しているのであろうか。訳注などが付されていないので、現在の私には不明である。宿題にしておきたい。

補註の補註** インタヴュー
チャペック氏が新聞にどのようなインタヴュー記事を載せていたかは、今後チャペック本を読み漁れば、情報が得られると思う。それまでは、ジャーナリストとしてのチャペック氏は presumed guilty ではないかな?・・ぐらいに止めておきたい。歴史的事実と照合させる作業はかなりの困難が予想され、従って、これも難しい宿題になりそうである。

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ヴァルガ氏が市電を降りる時、市電の中の人たちは、氏に向かって友情を込めて手を振った。新聞を読んでいる人たちさえも、新聞から目を上げて呟いたーーー「アディオス、セニョール!」(チャペック、同書、十センターヴォ玉、p126-127)

補註 十センターヴォ玉(1938年発表)
舞台は、スペイン内戦と同時代のポルトガル。主人公の置かれた状況の深刻さ、人間社会の抱える問題の闇の深さ、そしてそのような危機的状況にあってさえ、視野狭窄や半側空間無視に陥ることなく、人々に向けられる優しい眼差しを併せ持つチャペック氏。複雑な視点で描かれた、短編の中でも強い印象を刻される名品である。1938年、チェコは全体主義国家体制に呑み込まれるような方向に進み、そしてチャペック氏はその年の冬には亡くなるのである。翌1939年にチェコはドイツに併合される。

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