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加地伸行 儒教と老荘:絶対と相対

2017年2月5日 日曜日 晴れ

加地伸行 儒教と老荘 (加地伸行編・「老荘思想を学ぶ人のために」) 世界思想社 1997年

儒教と老荘思想との関係

老荘思想: <相対>というものの見かたの提案
儒教思想の基本は、<絶対>という価値を認めることである。・・しかし、老荘思想は、そういう<絶対>の窮屈さ、虚飾、こだわりといったものを徹底的に揶揄し、批判し、そして否定する。それは<相対>というものの見かたの提案である。死さえも生との相対において見るのであり、まして、世俗の数量的絶対化(補註#)の愚かさを痛烈に突く。(加地、同書、p85)

補註# 「世俗の数量的絶対化」とは具体的に何を指しているのか、宿題とさせてください。(2017年2月5日時点で)

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老荘思想や儒家思想を支えていた階層とは何であろうか?
 私(=加地さん)は「老子」に軍事指導者の影を見る。それはむしろ都市生活者の影である。儒家思想は農村を、老荘思想、少なくとも「老子」は都市を、それぞれ背景としているのではなかろうか。
 だいたい<相対>化してものを見るというのは、余裕があるからである、都会的視点である、世の中は広いということを知っている者の発想である。これに反して、<絶対>の追究などというのは、余裕がなく、世間を知らない者の発想である。農村(「近代化された農村」という意味ではない。「前近代的社会の農村」という意味)的な視点である。
 老荘思想ーーーそう聞くだけで農村との結びつきをイメージするのは、先入観にすぎない。(加地、同書、p86-87)

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