倫理学のジレンマ

永井均 哲学教科書シリーズ 倫理とは何かーー猫のアインジヒトの挑戦ーー 産業図書 2003年

2015年3月13日 金曜日 曇り 倫理学固有のジレンマ:倫理学を学べば良き道徳も良き人生論も信じられなくなる?

この冬、10年ぶりぐらいになろうか、永井さんの著書を読み返している。猫のペネトレ、インサイトに続いて、第三の猫は倫理学のアインジヒトである。

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倫理学固有の難しい問題:

A)道徳的観点からそう信じるべき正しい理由
B)自分の人生の幸福という観点からそう信じるべき正しい理由
C)学問的真理認識の観点からそう信じるべき正しい理由
これらがそれぞれ食い違うことが多い。(永井・同書、121ページ)

C)道徳についての真理認識の観点から正しいことと、
A)道徳的に正しいこと、
とは違う。

C)倫理的認識を進めることは、
概しては A)道徳的に善なる行為ではない。
しかも、B)自分の幸福という観点を入れれば、
それはさらにまた別だ。

A)良き道徳がこう思って行為しなさいと言うことと、
B)良き人生論がこう信じて生きていきなさいと言うことと、
C)正しい倫理学説がこう考えることができれば真実を知ったことになると言うことは、
それぞれ両立しないことが多い。

しかも倫理学(C)は、良き道徳(A)がーーー場合によっては良き人生論(B)がーーーどういうものであるかについての認識を含むから、倫理学者(C)というものは、一般の人に何を信じさせておくことが世の中全体をよくするか(A)、とか、その人の人生をよくするか(B)、とかは正しく知っていながら、自分自身(C)はそれを直接信じることはできない水準に上がってしまっていることになる。

自分が教祖で、どうしても信者たちを幸福にしたければ、みんなが幸福になるような嘘をつく。でも、自分だけはそれを信じられない・・・ そうすると、倫理学書の著者は読者も自分自身も幸福にしないことになる。それでいいんだろうか。道徳や人生に関する知的探求は、つねにその種のジレンマに悩まされるんだ。いや、悩まされるべきなんだ。

以上、永井・同書 p121 より。ただし、A,B,Cの符号は私が理解のための便宜上加えてみたもの。

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2015年3月13日 永井均 倫理とは何かーー猫のアインジヒトの挑戦ーー、読了。

「毒もみ」のこと・・・われわれがみんな、自己存在の空虚さ、存在意義の空無におびえているからだよ。確固たる生きる根拠を持っていることが、驚異なんだ。(同書、p226)

倫理学というのは、人間がそれについて真理を語るには人間をやめるしかないような事柄を対象にしているという点で、きわめて特別の学問なんだ。その意味で、ただその意味でのみ、倫理学はきわめて哲学的な学問だよなあ。(同書、p230)

俺は逆に、俺の中に世界がある。だから、俺は結局は他人に言葉で言うべきことが持てないようにできている。他人と共有しようとすると、そのことで瓦解しちまうところで成立しているからな。ただ黙って実行するほうだ。(同書、p232)

哲学の伝統によって確立してる問いは無視して、つまり哲学は無視して、自分が疑問に思っていることを考え抜くことだ。それに尽きるよ。哲学はそのために利用すべきものだ。そして逆説的だけど、それが哲学なんだ。(同書、p233)

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確固たる生きる根拠を持っている驚異の人々: ソクラテス、ドン・ジョヴァンニ、毒もみの好きな署長さん。シェイクスピアの史劇の中にも見いだせるかもしれない(リチャード3世?)。我らが愚禿親鸞は? いずれゆっくりと考えてみたい。

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