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畢命を期としてこの苦域の界を出でて、かの不退の土に往生し給はん

平家物語 市古貞次・校注・訳 新編日本古典文学全集 46 小学館 1994年

重衡
「・・・かかる悪人のたすかりぬべき方法(はうばふ)そうらはばしめし給へ。」

上人
「・・・罪ふかければとて卑下し給ふべからず。十悪五逆廻心(ゑしん)すれば往生をとぐ。功徳すくなければとて望みをたつべからず。一念十念の心を致せば来迎す。「専称名号至西方」と釈して、専ら名号を称ずれば、西方に至る。「念々称名常懺悔」とのべて、念々に弥陀を唱ふれば、懺悔するなりとをしえたり。・・・浄土宗の至極おのおの略を存じて、大略是を肝心とす。但し往生の得否(とくふ)は信心の有無によるべし。ただふかく信じてゆめゆめ疑(うたがひ)をなし給ふべからず。もしこのをしへをふかく信じて、行住坐臥、・・・心念口称を忘れ給はずは、畢命(ひつみやう)を期(ご)としてこの苦域(くゐき)の界(かい)を出でて、かの不退(ふたい)の土に往生し給はんこと、何の疑かあらむや」

中将(重衡)
「此ついでに戒をたもたばやと存じ候は、出家仕り候はではかなひ候まじや」

上人
「出家せぬ人も戒をたもつ事は世の常のならひなり」

とて、額にかうぞりをあててそるまねをして十戒(じっかい)をさづけられければ、中将随喜の涙をながいて是をうけたもち給ふ。上人もよろづ物あはれに覚えて、かきくらす心地して、泣く泣く戒をぞ説かれける。

以上、同書、p281−282より引用(平家物語 市古貞次・校注・訳 2分冊の2 巻第十 戒文(かいもん) p281−282 新編日本古典文学全集 46 小学館 1994年)

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注より(同書の注釈より引用)
来迎す: 仏が迎えに来ること
至極: 極意
略を存じて、大略是を肝心とす: 簡略を主として、大要を知るのを肝心(大切)とする。
苦域(くゐき)の界: 苦の世界。現世。
不退(ふたい)の土: 極楽浄土。一度そこに生まれると再び穢土(現世)に退出することのないところ。永住の地。
かうぞり: 剃刀(かみそり)
かきくらす心地して: 目先まっ暗な気持ちがして

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