literature & arts

タチマチ シラガノ オジイサン.

2021年2月21日 日曜日 快晴(ただし、気温は氷点下。道は凍結していて危ない。)

太宰治 浦島さん ちくま文庫版太宰治全集7 1989年

・・それでは、何だかひどく下等な「面当て」みたいだ。まさかあの聖諦の乙姫が、そんな長屋の夫婦喧嘩みたいな事をたくらむとは考えられない。どうも、わからぬ。私は、それに就いて永い間、思案した。そうして、このごろに到って、ようやく少しわかって来たような気がして来たのである。

つまり、私たちは、浦島の三百歳が、浦島にとって不幸であったという先入観に依って誤られて来たのである。絵本にも、浦島は三百歳になって、それから、「実に、悲惨な身の上になったものさ。気の毒だ。」などというような事は書かれていない。

タチマチ シラガノ オジイサン

それでおしまいである。気の毒だ、馬鹿だ、などというのは、私たち俗人の勝手な盲断に過ぎない。三百歳になったのは、浦島にとって、決して不幸ではなかったのだ。

・・・(中略)・・・ 浦島は、立ち昇る煙それ自体で救われているのである。貝殻の底には、何も残っていなくたっていい。そんなものは問題でないのだ。曰く、

年月は、人間の救いである。

忘却は、人間の救いである。

竜宮の高貴なもてなしも、この素晴らしいお土産に依って、まさに最高潮に達した観がある。思い出は、遠くへだたるほど美しいというではないか。しかも、その三百年の招来をさえ、浦島自身の気分にゆだねた。ここに到っても、浦島は、乙姫から無限の許可を得ていたのである。淋しくなかったら、浦島は、貝殻をあけて見るような事はしないだろう。どう仕様も無く、この貝殻一つに救いを求めた時には、あけるかも知れない。あけたら、たちまち三百年の年月と、忘却である。これ以上の説明はよそう。日本のお伽噺には、このような深い慈悲がある。

浦島は、それから十年、幸福な老人として生きたという。(太宰、同書、p384-385)

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