literature & arts

冒険は、弱き人・苦境に置かれし人を救うためになされるのである。

2022年6月13日 月曜日 曇りのち晴れ

セルバンテス作 牛島信明訳 ドン・キホーテ 前篇(一)

「・・いま申し上げたとおり明日には、拙者のかねてからの念願が成就し、晴れて世界各地に冒険を求めて旅に出る資格が得られるのでござる。なお、こうした冒険は弱き人、苦境に置かれし人を救うためになされるのであって、それこそが騎士道の、そして拙者のような遍歴の騎士たる者の任務であり、われらの願いはこの任務の遂行において手柄をあげるところにあるのでござる。」(牛嶋訳、同書、p70)

1505年の装飾写本に描かれた、騎乗するジャンヌ。 Joan of Arc depicted on horseback in an illustration from a 1504 manuscript. 

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補註: 私、27歳の秋(1984年10月)、臨床医としての身分を捨てて、本格的に医学研究(癌の治療法の研究)の道に入門し、歩を進めることになった。もとより、このドン・キホーテほどの決然たる決意も、怖ろしい者に怖じない強い勇気もなかったものの、「苦境に置かれし人を救うため」という理念への熱意は明かであった。

ところが、ある時(研究を始めて失敗ばかり続いて1年後ぐらいの頃だろうか、ならば28歳の私)、はっきりと「そんなことはできるわけない」と、博士号を持つ同僚から諭された。明言されたその時には、最初はその言葉の意味さえ理解できなかった。そして、さすがに私も驚き戸惑い、腹が立った。彼は私より1歳=1学年だけ年下であるが、27歳で薬学博士を取得し、研究歴は卒業研究を含めて6年間余と長く、27歳になって初めて実験研究を始めた私よりもずいぶんと先を行く研究の先達であったのだ。医学研究に携わる目的は、確かにひとそれぞれであって構わないと思うべきであったかと、今では静かに明らめて(「諦めて」ではない)いる私であるが、当時は涙がでるほど悔しかった。

その後もこの「苦境に置かれし人を救うため」という理念を同僚に(あるいは学会や世間に)熱意をもって語れば語るほど、多くの冷淡と嘲笑に出合って当惑した。今では静かに明らめて(「諦めて」ではない)、それが当たり前であったと思わねばなるまい。

・・似ている。けれども、このドン・キホーテほどの決然たる決意も、怖ろしい者に怖じない強い勇気もなかった。

今、これ(勇気足らざりしこと)を恥として、悔い改めなければならないのかもしれない。

65歳になった今も、もしできることなら、錆び付いた甲冑を修理して、自ら新しい名前を襲名し、「冒険」の遍歴に出掛けたい。・・そういう念いが心の隅に潜んでいるように想う。

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