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詭弁論理学

2021年4月6日 火曜日 曇り

野崎昭弘 詭弁論理学 中公新書448 1976年

補註: 1976年というと早くも45年も前、著者の野崎氏は1936年生まれとあるので、40歳の頃の著書で、今は85歳の齢と計算される。この本を読むと至るところに昭和40年代頃のノリとさまざまな脱線が散りばめられていて、懐かしいスタイルだ。ノスタルジア。私はその昭和40年代ころ中学~高校の思春期にあったわけで、いわゆる「いじめられ盛り」の年頃&暮らしであった。この「詭弁論理学」を早めに読んでおけば、「忍の一字で耐えるよりは、相手の術の型(パターン)を観察し、性格を占ったりしながら応対をしたほうが、精神衛生上ははるかに有益であろう。」と思われるのであるが、私の現実は「忍の一字」で涙を呑み続けていたのであった。

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・・理屈ぬきの「押しの一手」は、「強弁」と呼ぶべきであろう。これに対して、多少とも論理や常識をふまえて「相手を丸めこむ(あるいはごまかす)」のが「詭弁」である。「詭弁」が詐欺や窃盗にあたるとすれば、「強弁」さしずめ強盗になる。(野崎、同書、p9)

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強弁をふりまわされる立場におかれたときに、忍の一字で耐えるよりは、相手の術の型(パターン)を観察し、性格を占ったりしながら応対をしたほうが、精神衛生上ははるかに有益であろう。(野崎、同書、p18)

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・・私が脚本を書くとしたら、犯人のひと言に沈黙してしまう刑事たちのかわりに、次のシーンをつけ加えるだろう。  ・・ 「うるせえ。この世の中はな、おめえひとりのためにあるんじゃねえんだ。甘ったれるな!!」(野崎、同書、p41)

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強弁補強術

・・そこで弱気になるようでは無理がひっこみ、道理が通ってしまうから、各種の補強術が援用される。権威をふりかざすこと、大声を挙げること、立て板に水としゃべりまくること、等々である。これらの術は、相殺法の補強に限らず有効であるが、よい機会であるからここで研究しておこう。(野崎、同書、p49)

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詭弁

・・詭弁を飛躍的に発達させた時期として、まずギリシア時代を挙げるのはさしつかえないであろう。・・弁論に長けた「ソフィスト」(知者、教師、詭弁家が輩出したのもこの時代であった。  実際、言葉による真理の追究と詭弁術とは、紙一重である。(野崎、同書、p58)

・・「ホラを吹く」ことをも恐れずに「弱い議論を強くする」ためには、まともな弁論術(あるいは修辞学)だけでは足りない。詭弁術から争論術が必要になり、ソフィストたちが広く歓迎されたのであった。(野崎、同書、p61)

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