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All men are created equal:巧言令色鮮し仁。

2022年3月8日 火曜日 雪

神野正史 世界史劇場 アメリカ合衆国の誕生 ベレ出版 2013年

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・・その「言葉自体」がどれほど正しかろうとも、そこに「実践」が伴わないものは「空念仏」「空言(そらごと)」であり、それを口にする者はただの「口舌の徒」にすぎません。・・彼らの「すべての人間は平等に創られている」という言葉には、「実践」が伴われていたでしょうか。  ここに至るまで、彼ら白人の行いを、よ〜く思い起こしてみてください。

 彼らは、何の罪もないインディアンたち、むしろ苦難の時代にあった白人の命を無償で何度も助けてくれた”命の恩人”たるインディアンたちの財産を奪い、その自由を奪っただけでない、耳鼻を削ぎ、皮を剥ぎ、首を晒し、故意に疫病(天然痘菌)をバラまいて、虐殺・掠奪・蛮行の限りを尽くしてきたではありませんか。

 その血塗られた手で「独立宣言文」を書き、その蛮行を命じた口で「すべての人間は平等に創られている!」「すべての人間は、生命・自由、幸福を追求する権利がある!」と高らかに謳っているのです。

 それを知ったあとでも、これが「すばらしい言葉」だと感じますか? ・・・(中略)・・・ 「実践を伴った言葉」のみに真実はあるのです。(神野・アメリカ、同書、p200)

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英語では、「人間」と「白人男性」という2つの概念があるのではなく、「人間とは=白人男性」、「白人男性だけが=人間」という1つの概念があって、それを表現する1つの単語が「man」なのです。(神野・アメリカ、同書、p201)

補註: 起草の中心人物はトーマス・ジェファーソン。ジェファーソンという人物の実像については山本幹雄著「大奴隷主・麻薬タバコ紳士ジェファーソン」などの書籍も参考にして下さい。ジョン・ロルフによるヴァージニアでのタバコ栽培農園の始まり(1614年ごろから)については、ジェームズタウンの建設・美談の真相(神野・アメリカ、同書、p42-52)に描かれています。  また、藤永茂さんの「アメリカインディアン悲史」などもご覧ください。

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独立宣言起草委員会委員: ジョン・アダムズ 1776年(神野・アメリカ、p196)

・・みせかけばかりの裁判をすることによって処罰を免れさせる。・・ボストン虐殺事件 1770年(神野・アメリカ、p196)

「謝罪」は悪!

・・でも、その「見せかけばかりの裁判」で舌先三寸、口八丁手八丁で、「殺人兵士」に事実上の無罪を勝ちとった、そのときの悪徳弁護士こそ、誰あろうジョン・アダムスなのです。  彼は、独立運動の中心人物のひとりであり、「建国の父」にして、のちの「第2代大統領」にまで昇りつめた人物です。  1770年の時点では、弁護士として本国側に加担しておきながら、その舌の根も乾かぬうちに、今度は「ボストン虐殺事件」を糾弾する側で「独立!」を叫んでいたのです。(神野・アメリカ、同書、p208)

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「デラウェア川を渡るワシントン」(1851) エマヌエル・ロイツェ – The Metropolitan Museum of Art 
・・坐っていたはずだ? 全員坐っていたら、絵としての迫力がなくなっちゃうでしょ! ・・ 絵だけに限らず、「作品」というものは、その作品のひとつひとつ隅々に至るまで、作者の強い想いが込められているものです。  そういう作者の「想い」を理解できず、些末な揚げ足取りに汲々とするような者に、作品を評する資格はない、と筆者は感じます。(神野・アメリカ、同書、p218)

トレントンの戦い 1776年12月25日 (解説は、神野・アメリカ、同書、p213-217)

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補註: 随分と昔のことになるが、トーマス・ペインの Common Sense を名著として多くの人びとが引用し盛んに褒め称えているのを知り、自分でも原著を読んでおきたいと思い、本を取り寄せて読んでみた。すると・・その余りにも独善的な煽り文書=一方的なプロパガンダに嘔吐しそうなほどであった・・神野さんの「アメリカ建国史」を読みながら、そんな過去のことを思い出してしまった。

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All men are created equal:巧言令色鮮し仁。

補註: 220309追記 All animals are created equal, but pigs are more equal than others. ・・といったオーウェリアン・ニュー・スピークを思い出してしまった(英語は異なっているかもしれません)。

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反逆罪「四ツ裂きの刑」

・・「講義を聴いてて気持ち悪くなった。そういう話はやめて下さい」と。  愚かな。これが歴史です。真実です。そして本質です。  「表」も「裏」も学んで、初めて「歴史」です。

 「表(きれいごと)」だけ聴いて、歴史を知ったような気になっている者の多いこと。  それは歴史ではない。換骨奪胎された「おとぎ話」にすぎません。(神野・アメリカ、同書、p228)

補註: 220309追記 30年ほども前、スイス・ルツェルンでロッシーニの歌劇ググリエルモ・テル(ウィリアム・テル)を見たとき、残酷な刑執行の演出に驚いた。牧畜・遊牧の民には割と日常的な作業の延長上に位置するのであろうか。それにしてもロッシーニが譜面に書き込んでるわけはないので、舞台監督と演出家がわざわざ残酷演出をしているのであった。小学校の運動会で必ず放送されるあの有名な間奏曲のあるオペラである。

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