2024年1月24日 水曜日 曇り
長浜浩明 古代日本「謎」の時代を解き明かす 神武天皇即位は紀元前70年だった! 展転社 平成二十四年
「鉄」は何時から使われたか
・・弥生時代の鉄器で最も古い確かな例として山口県豊浦町山の神遺跡出土の鋤先を挙げている(中略)。袋状の貯蔵穴の底から、弥生前期末ないし中期初めの土器と一所に見つかっており、両者の関係は間違いないだろう。 なお、鉄器は使うと歯が磨滅したり欠損したりして切れ味が悪くなるので、砥石で刃を研ぐ必要がある。鉄器の刃を研ぐための目の細かい砥石が現れるのは弥生前期末・中期初めからとされているので、鉄器の出現と符合している(『弥生時代の実年代』学生社p158)
そして「炭素14年代では、弥生中期(II期)の始まりは前三九〇〜三四〇年頃にくる(同前、p159)という。では半島南部の鉄はいつ頃現れるのか?
「韓国の李南珪氏(韓神大学校)は、半島南部に鉄器が現れるのは(中略)、戦国時代燕国の系統の鋳造鉄器であることを認めつつ、おおよそ前三世紀と推定している」(同前、p155)
すると山の神遺跡出土の鋤先の方が百年近く早いことになる。曲り田遺跡や今川遺跡の鉄から分かる通り、シナや朝鮮が鋳鉄の時代、わが国では鍛鉄を作っていた。考古学界では、日本はシナや朝鮮より遅れている、なる先入観が巣くっているが、それは誤りだった。
例えば、弥生時代中期以降になると日本でしか作れない大型鉄戈が登場する。・・・(中略)・・・当時の日本はシナや朝鮮を凌ぐ最先端の鉄器製造技術を有していたのである。(長浜、『古代日本「謎」の時代を解き明かす』、p190-191)
**
以下、marineと奈央 さんのブログより引用: 2021年のウェブ記事より 弥生の土器と鉄器を訪ねて 56 山の神遺跡1 日本最古の鉄器って? https://ameblo.jp/cypris11/entry-12708600327.html より引用: 日本最古の鉄器という呼称は、これまでいくつもの遺跡からの出土物に対して使われてきました。 それが、新たに発掘された遺跡の出土物によって、より古く過去に遡るのであればいいのですが、現実は、出土物の再検討によって、時代を下ったものであるという判断がなされ、日本最古の鉄器という呼称を喪失するという憂き目に会うというちょっと悲しい歴史なのです。 本来、学問の世界のことなので、忌憚の無い意見交換があってしかるべきなのですが・・・・・・(中略)・・・しかしその後,下関市の下村遺跡において、山ノ神遺跡(土器2~4・6)と同時期と認定すべき綾羅木IIIb式土器(下図1~5)が、弥生時代中期初頭に下ることが確実な櫛描き文甕7と袋状竪穴埋没層下部で共伴する事例が見つかったのです。 その後のさらなる調査により、綾羅木IIIb式土器が、弥生時代中期初頭に下ることは動かし難い事実 となったのです。(https://ameblo.jp/cypris11/entry-12708600327.html より引用終わり)
弥生の土器と鉄器を訪ねて 57 山の神遺跡2 太陽光発電と石組 より以下引用: ・・ということで、今回、山の神遺跡の現場リポートは終了です。 残念ながら、遺跡の発掘場所を示す立て札なんかは見つけられなかったけど、現場に来たということが大事なんですよね。 満足でーす。 https://ameblo.jp/cypris11/entry-12711515049.html?frm=theme より引用終わり。
弥生の土器と鉄器を訪ねて 番外編21 下関市立考古博物館で捜索! より以下引用: でも、日本最古の鉄器という呼称が怪しくなったから、公的な機関としては展示できないのかもしれませんね。
**
補註: 土器の考古学的なデータに併せて、炭素14年代のデータも追加して頂きたいものですね。
**
*****
*********************************
*********************************