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春光は度(わた)らず 玉門關

2016年4月19日 月曜日 曇り

一海知義 漢詩一日一首 平凡社 1976年 p51

出塞  王之渙

黃河遠上白雲間,
一片孤城萬仞山;
羌笛何須怨楊柳,
春光不度玉門關。

黃河 遠く上(のぼ)る 白雲の間,
一片の孤城 萬仞(じん)の山;
羌笛(きょうてき) 何ぞ須(もち)いん 楊柳を怨むを,
春光は 度(わた)らず 玉門關。

訓読は一海、同書、p52より。

楊柳は、「折楊柳」とよばれる歌曲。旅立ちのときに、柳の一枝を折って手渡し、無事を祈る習慣があり、「折楊柳」は別れの曲である。
「春光は 度(わた)らず 玉門關」。柳を芽吹かせる春の光も、ここ玉門関の辺境までは、とどいて来ないのだから。(一海、同書、p52より)

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補注 王之渙 ウィキペディアによると・・・
王 之渙(おう しかん、688年 – 742年)は、中国・唐の詩人。并州晋陽(山西省太原市)の出身。字は季陵。
開元年間の初めに冀(き)州衡水(こうすい)県(河北省)の主簿に就いたが、他人とうまくゆかずに辞職し、15年間無官で過ごして、晩年に文安県(河南省)の尉に就いた。当時、詩名は高く、その詩は人々に愛誦されたと伝えられている。
「王之奐」としている本もある。
作品に、『九日(きゅうじつ)送別』(七言絶句)がある。
九日送別
薊庭蕭瑟故人稀 薊庭(けいてい)蕭瑟(しょうしつ)として故人稀なり
何処登高且送帰 何(いず)れの処か高きに登りて且(しばら)く帰るを送らん
今日暫同芳菊酒 今日暫く同(とも)にす 芳菊(ほうきく)の酒
明朝応作断蓬飛 明朝は応(まさ)に断蓬(だんぽう)と作(な)って飛ぶべし

以上、ウィキペディアより。

補注 玉門関 ウィキペディアによると・・・
玉門関(ぎょくもんかん)は中華人民共和国甘粛省敦煌市の北西約90kmにある、かつて建設されたシルクロードの重要な堅固な関所の1つ。漢と唐2度に渡り建立された。現存する玉門関遺跡は唐代のものである。俗称は小方盤城。
元来は漢代に武帝が河西回廊を防衛する目的で、長城をこの地域に建設し紀元前108年から107年にその最西端に建造されたとされる。その後、六朝時代には交通の要綱として栄え、唐代に再建された際は安西の東側に建設された。同じく南西に設置された陽関とともに、西域交通で北ルートを通ると玉門関、南ルートでは陽関を通過していた。宋代になって西域交通が衰え、衰退した。
玉門関は、中国で古代より文化人が辺境の地での戦いや孤独な生活を思い詠嘆する地で、唐代の詩人王之渙は「羌笛何須怨楊柳、春風不度玉門関」(羌笛何ぞ須(もち)いん楊柳を怨むを、春風渡らず玉門関)と詠んでいる。李白 – 子夜呉歌という詩でこの門が歌われている。
1988年に全国重点文物保護単位に指定され、2014年にはシルクロード:長安-天山回廊の交易路網の構成資産としてUNESCOの世界遺産リスト登録物件に含まれた。

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