literature & arts

別れを恨んでは鳥も心を驚かす

2016年7月11日 月曜日 曇り

一海知義 漢詩一日一首 平凡社 1976年

時に感じては 花も涙をそそぎ
別れを恨んでは 鳥も心を驚かす

この聯の解は、判然と二説にわかれる。右の訓読のようによむ説と、「時に感じては花にも・・・、別れを恨んでは鳥にも・・・」とよむ説である。中国人の解がすでに二説にわかれるが、わが国にも二解があり、現在のところ後説に従う人が多いように思える。しかし、私は前説に傾く。  二説のちがいは、「花」「鳥」を、動詞「そそぐ」「驚かす」の主格によむか、補格によむか、の違いである。・・そうした擬人化が許容されるか。・・(1)花鳥の擬人化が当時の文学に普通であったこと、(2)五言詩のリズムを根拠とした主格説・・花をもって涙をそそぐの主格、鳥をもって別れを恨むの主格とすることは、リズムを、より多く自然にする(吉川幸次郎・杜甫II・世界古典文学全集29、筑摩書房 1972年)、(3)詩にうたわれる「自然と人事のバランス」説(一海)。中国の詩、ことに絶句とか律詩とよばれる詩型では、前半で「自然」をうたい、後半に至ってはじめて「人事」をうたう場合がすくなくない。・・前半の四句には、人間はまだ登場してはならぬ、涙を流し心を驚かすのは人間杜甫ではなく、花であり鳥でなければならぬ、というのが、私(一海)の理屈であり、私が花鳥主格説に傾く理由の、第三である。(一海、同書、p135-137より抄録)

*****

********************************************

RELATED POST