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筧次郎 重助菩薩

2018年7月27日 金曜日 快晴強い陽射し・猛暑の夏日

 

筧次郎 短編小説集 重助菩薩 地湧(ぢゆう)社 2017年

「子どもがいるよ」

藪を飛びだしてウトパーダが言った。

「わかっている」

「母さん猪だったよ」

「・・・・・・」

「わかっていて撃ったの?」

責めるような口調で言った。

「仕方がないんじゃ。ウトパーダ、あいつらが大きくなるまで見逃してやったら、畑の被害は何倍にもなるぞ。おまえの母さんがもっと悲しむことになるぞ」(筧、同書、動物裁判、p72)

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「私たち動物連合は欲にまみれた人間の利己的で酷薄な行為を暴くために、この裁判をはじめました。人間に対する怨みや妬みからはじめたのではありません。少なくとも山羊種の代表として私が判事の役を引き受けたのは、私怨を晴らすためではありません。 私はさきほど「動物の輝かしい歴史」と申しましたが、それは私たち動物が何千年ものあいだつえに虐げられる立場にいながら、私怨というものを持たなかったからであります。さらに、私たち動物同士でもお互いに殺戮の歴史でしたが、人間のように屁理屈で正当化しなかったからであります。だからこそ私たちの歴史には、自然とよべる明るさが漂っていたのです。 人間もまた動物の一種です。スンニャ爺さんの暮らしはきわめて慎ましく、必要以上に獲物を探すことはなかった。自分の行為を正当化することもなかった。スンニャ爺さんの生きざまはまさに人間という自然のひとつの形ではありませんか。これを裁くなら、私たち動物の自然もまた裁かれねばなりません」・・・(中略)・・・「・・この革命が私たちにとって幸せなものなのか、私にはどうしても肯うことができません。 人間はその長い歴史のなかで彼らの能力を上手に使ってきたとは思えません。ひとつの秩序を創りだすために、血みどろの戦いを繰り返してきましたし、できあがった秩序も、どうみても美しいものではない。公平でない。自由でない。平和でない。欠点だらけであります。 しかしながら、人間を排除して私たち動物がやりなおしても、同じように愚かな歴史を繰り返すのではないでしょうか。その証拠に、もうすでに革命を指導した豚たちには権力争いが起こっていますし、犬の軍隊も、同朋に対しても横暴な振る舞いをはじめています。 みなさん、自然を取り戻しましょう。私たちが自然を逸脱しなければ、猛獣がいても猟師がいても、この世界は平和なのです」 山羊の判事が会釈して座ると、法廷は静まりかえった。その重苦しいしじまを破って、豚の裁判長がキィキィ声で叫んだ。 「パンニャー判事を取り押さえろ!」(筧、同書、動物裁判、p67-69)

 

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