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まさしく見たりと言ふ人もなく、虚言と言ふ人もなし。

2021年2月24日

徒然草 第五十段

 応長のころ、伊勢の国より、女の鬼になりたるをて上りたりといふことありて、そのころ二十日ばかり、日ごとに、京・白川の人、鬼見にとて出で惑ふ。
「昨日は西園寺に参りたりし。」
「今日は院へ参るべし。」
「ただいまはそこそこに。」
など言い合へり。まさしく見たりと言ふ人もなく、虚言そらごとと言ふ人もなし。上下ただ、鬼のことのみ言ひやまず。

 そのころ、東山より安居院あぐゐの辺へまかりはべりしに、四条より上さまの人、皆、北をさして走る。
「一条室町に鬼あり。」
とののしり合へり。今出川の辺より見やれば、院の御桟敷みさじきのあたり、さらに通り得べうもあらず立ちこみたり。はやく跡なきことにはあらざめりとて、人を遣りて見するに、おほかた会へる者なし。暮るるまでかく立ち騒ぎて、果ては闘諍とうじやうおこりて、あさましきことどもありけり。

 そのころ、おしなべて、二、三日人のわづらふことはべりしをぞ、
「かの鬼の虚言は、このしるしを示すなりけり。」
と言ふ人もはべりし。

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補註: 「週刊誌の妖精=マスコミの悪魔」の活躍の一例? 「集団ヒステリー」とでもいうのであろうか? この「週刊誌の妖精」は「ちょっとした美人」でしかなく、「頭の回転もわるくなさそうな顔つき」ではあったものの、特別思慮深くもないわけであり、「どことなく落ち着きがなく、軽薄そうで、好感は持て」ない(星、災害、前掲書p253参照)のである。

以下の猿沢の池の竜の事も「週刊誌の妖精」の仕業?

芥川の「竜」では本当に現実に竜が登っていくことになるお話しなのだ。人びとの願望のエネルギーが一つの方向に動くと、このような巨大な集団幻視となる → 奇跡として言い伝えられる、などというお話しもあっていけないこともないかもしれない。ファンタジーとして。

ルルドの泉の奇跡(1858年フランスのルルドで)https://ja.wikipedia.org/wiki/ルルドの聖母 なども想起される。(R.ドーキンスの批評も参照: Magic of Reality: How We Know What’s Really True. Bantam Press. (2011). ISBN 978-0-593-06612-6 この本は、2012年度のTy大学での連続セミナー(3年生のための英語の勉強)に私がテキストとして用いた思い出の本である。)

一方、上記の徒然草第五十段も、以下の宇治拾遺物語巻十一もリアリズムで醒めている。サイエンティストとしての私は、もちろん、ロマンチストのほら吹きではなく、地に足をつけて現実を見つめる人でありたい。

一方で、SFやファンタジーの世界も楽しむ時間、豊かな語らいを楽しむ、そんな幅の広さも持ち合わせたい。

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蔵人得業、猿沢池の竜の事  https://yatanavi.org/text/yomeiuji/uji130 より引用:

これも今は昔、奈良に蔵人得業恵印といふ僧ありけり。鼻大きにて、赤かりければ、「大鼻の蔵人得業」と言ひけるを、後ざまには、「言(こと)長し」とて、「鼻蔵人」とぞ言ひける。なほ、後々には「鼻蔵(はなくら)、鼻蔵」とのみ言ひけり。

それが若かりける時に、猿沢の池の端(はた)に、「その月のその日、この池より竜の登らんずるなり」といふ簡(ふだ)を立てたりけるを、行き来者、若き老いたる、さるべき人々、「ゆかしきことかな」と、ささめきあひたり。この鼻蔵人、「をかしきことかな。わがしたることを、人々騒ぎあひたり。をこのことかな」と、心中にをかしく思へども、「すかしふせん」とて、そら知らずして過ぎ行くほどに、その月になりぬ。

おほかた、大和・河内・和泉・摂津国の者まで聞き伝へて、集ひ会ひたり。恵印、「いかにかくは集まる。何か、あらんやうのあるにこそ。あやしきことかな」と思へども、さりげなくて過ぎ行くほどに、すでにその日になりぬれば、道もさりあへず、ひしめき集まる。

その時になりて、この恵印、思ふやう、「ただごとにもあらじ。わがしたることなれども、やうのあるにこそ」と思ひければ、「このこと、さもあらんずらん。行きて見ん」と思ひて、頭包みて行く。おほかた、近う寄り付くべきにもあらず。興福寺の南大門の壇の上に登り立ちて、「今や竜の登る、今や竜の登る」と待ちたれども、何の登らんぞ、日も入りぬ。

暗々(くらぐら)になりて、さりとては、かくてあるべきならねば、帰りける道に、一つ橋に目くらが渡り会ひたりけるを、この恵印、「あな、あぶなの目くらや」と言ひたりけるを、目くら、とりもあへず、「あらじ、鼻くらななり」と言ひける。

この恵印を「鼻蔵」と言ふとも知らざりけれども、「目くら」と言ふにつきて、「あらじ、鼻くらななり」と言ひたるが、「鼻蔵」に言ひあはせたるが、をかしきことの一つなりとか。(宇治拾遺物語巻十一、第六話)小林智昭校注‧訳『宇治拾遺物語』(日本古典文学全集)、小学館、 1973 年

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参考: 芥川の「竜」 青空文庫https://www.aozora.gr.jp/cards/000879/files/134_15262.html

まして一日二日と経って見ますと、奈良の町中どこへ行っても、この猿沢さるさわの池の竜のうわさが出ない所はございません。元より中には『あの建札も誰かの悪戯いたずらであろう。』など申すものもございましたが、折から京では神泉苑しんせんえんの竜が天上致したなどと申す評判もございましたので、そう云うものさえ内心では半信半疑と申しましょうか、事によるとそんな大変があるかも知れないぐらいな気にはなって居ったのでございます。するとここにまた思いもよらない不思議が起ったと申しますのは、春日かすが御社おやしろに仕えて居りますある禰宜ねぎの一人娘で、とって九つになりますのが、そののち十日と経たない中に、ある夜母の膝を枕にしてうとうとと致して居りますと、天から一匹の黒竜が雲のように降って来て、『わしはいよいよ三月三日に天上する事になったが、決してお前たち町のものに迷惑はかけない心算つもりだから、どうか安心していてくれい。』と人語を放って申しました。そこで娘は目がさめるとすぐにこれこれこうこうと母親に話しましたので、さては猿沢の池の竜が夢枕ゆめまくらに立ったのだと、たちまちまたそれが町中のおお評判になったではございませんか。(以上、青空文庫より部分引用)

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