culture & history

釜鶴松の決して往生できない魂魄は、この日から全部わたくしの中に移り住んだ。

2021年2月25日 木曜日 晴れ

渡辺京二 民衆という幻像 渡辺京二コレクション2民衆論(小川哲生編) 筑摩学芸文庫 2011年

渡辺京二 石牟礼道子の世界 講談社文庫版『苦海浄土—わが水俣病』解説 同書、p091-113、1972年; 渡辺京二 石牟礼道子の時空、同、p114-163、1984年; 渡辺京二 石牟礼道子の自己形成、同、p164-188、2005年。

・・このような世界、いわば近代以前の自然と意識が統一された世界は、石牟礼氏が作家として外からのぞきこんだ世界ではなく、彼女自身生まれた時から属している世界、いいかえれば彼女の存在そのものであった。釜鶴松が彼女の中に移り住むことができたのは、彼女が彼とこういう存在感と官能を共有していたからである。  「あの人が心の中で言っていることを文字にすると、ああなるんだ」という彼女の、一見不逞ともみえる確信の根はここにある。・・・(中略)・・・彼女は彼らに成り代ることができる。なぜならばそこにはたしかな共同的な感性の根があるからだ。(渡辺、同書、p102-103)

・・この作品で描かれる崩壊以前の世界があまりにも美しくあまりにも牧歌的であるのは、これが崩壊するひとつの世界へのパセティックな挽歌だからである。(渡辺、同、p103)

・・生きとし行けるもののあいだに交感が存在する美しい世界は、また同時にそのような魑魅魍魎の跋扈する世界ででもある。そのことを石牟礼氏は誰よりもよく知っている。それなのに、彼女の描く前近代的な世界は、なぜかくも美しいのか。それは、彼女が記録作家ではなく、一個の幻想的詩人だからである。(渡辺、同、p104)

・・「ゆき女聞き書」では「うちゃぼんのうの深かけん」と語られ、「天の魚」では「魂の深か子」といわれる、そのぼんのうや魂の深さにこそ彼女の一生の主題であり、患者とその家族たちは、そのような「深さ」を強いられる運命にあるために、彼女の同族なのである。  「ゆき女聞き書」や「天の魚」で描かれる自然や海上生活があまりにも美しいのは、そのためである。この世の苦悩と分裂の深さは、彼らに幻視者の眼をあたえる。苦海が浄土となる逆説はそこに成立する。(渡辺、同書、p110)

・・『苦海浄土』は患者とその家族たちが陥ちこんだ奈落ーー人間の声が聞きとれず、この世とのつながりが切れてしまった無間地獄を描き出しているのであり、そのことを可能にさせたのは、彼女自身が陥ちこんでいる深い奈落であったのである。(同、p111)

・・『苦海浄土』一篇を支配しているのは、この世から追放されたものの、破滅と滅亡へ向って落下して行く、めくるめくような墜落の感覚といってよい。(同、p113)

・・さらに見逃されてならぬのは、この人のユーモアの才能である。・・彼女の民話風なユーモアの感覚は、どれだけこの作品にふくらみをもたしているか知れない。(同、p113)

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