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小浜逸郎 日本語は哲学する言語である

2018年12月29日 土曜日 雪 昨日、バッテリー修理に出していた私の MacBookAir2015 が返送されてきた。久しぶりにバッテリー切れにほとんど煩わされることなくデスクワークが継続できることになった。さらに、本日、読書用メガネのレンズを新調し、再び、すぐには眠くなることなく本を読んだりキーボードを叩いたりできるようになった。久しぶりの覚醒 awakening である。

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小浜逸郎 日本語は哲学する言語である 徳間書店 2018年

日本語が世界をどのようにとらえているかという問題。(小浜、同書、p74)

日本語の特質のうち、世界把握の仕方という点で、特に重要と思える三つのテーマ:

1 「いる − ある」問題

2 「こと − もの」問題

3 「ひと − もの」問題 (小浜、同書、p74)

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「いる」は、その語られている状況に自分自身がひそかに参入して、その状況と「私」とが親しく居合わせていることを表しています。(小浜、同書、p77)

「ある」は、こちらから距離を取り、当のモノや人を突き放して客観的に眺めたときの、存在や様態を表す表現なのです。(小浜、同書、p83)

このような「いる」と「ある」の区別が日本語にあって、欧米語にないという事実は意外に重要で、日本語が、よくも悪しくも周囲との情緒的関係を大切にする言語だということを象徴しています。(小浜、同書、p83)

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