culture & history

石神井川と音無渓谷:板橋から王子へ

2019年2月27日 水曜日 晴れ

中里を調べたついでに、石神井川についても調べてみた。この音無渓谷を数限りなく歩いたものである。覚えている限りで最後に歩いたのはL氏が15歳・中学校卒業の春だからかれこれ10年近く前になる。それからでさえずいぶん時間が経過したものだ。あの石神井川沿いをまた、桜の咲く頃に歩いてみたい。

ウィキペディアには広重の「江戸名所百景 王子不動之滝」と「江戸名所百景 王子音無川堰棣 世俗大瀧ト唱」の2枚が掲載されており、ブルックリン博物館のオンラインで見られるパブリックドメインにある画像とのことで、以下に引用してみた。

ウィキペディアによると・・・https://ja.wikipedia.org/wiki/石神井川

「石神井川は金沢橋付近(埼京線の上流約200m)から音無橋にかけて音無渓谷と呼ばれる深い谷となっていた。現在、渓谷部分はほとんどがコンクリートの垂直護岸となっていて、屈曲部の直線化や飛鳥山隧道建設などの改修によって流路も大きく変わっている。直線化の結果残った旧流路の一部は、氷川町つりぼり公園音無もみじ緑地音無さくら緑地などとして整備されている。」

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By 歌川広重 – Online Collection of Brooklyn Museum, パブリック・ドメイン, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=3790867
https://ja.wikipedia.org/wiki/石神井川#/media/File:100_views_edo_047.jpg
広重画「江戸名所百景 王子不動之滝」。音無渓谷沿いの正受院境内から石神井川に落ちていた王子七滝の1つ(現存せず)

ウィキペディアによると・・・

石神井川は現在の板橋区加賀付近から谷の底を深くして王子へ続く蛇行した渓流となっていた。この渓谷は「石神井渓谷」「滝野川渓谷」「音無渓谷」などとよばれていた[5]滝野川の町境の北側が石神井川上から一部半円状に外れる部分はかつての流路で、現在「音無さくら緑地公園」になっており、江戸名所図会松橋弁財天窟 石神井川』に描かれる江戸の名所だった。現在は川岸は整備されてかつての渓谷の風情はない。<以上、ウィキペディアより引用>  補註 調べてみると江戸名所図会は筑摩学芸文庫などで復刊されており、オンラインではジャパンナレッジ https://japanknowledge.com/introduction/enter.html?jp=r011 などの会員になると自由に閲覧することができるらしいのだが、年会費21,600円・・う〜ん、高いかもしれない。もうすこし専門的に調べる余裕と必要ができるまでお預けとしよう。

By 歌川広重 – Online Collection of Brooklyn Museum, パブリック・ドメイン, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=3790774
https://ja.wikipedia.org/wiki/石神井川#/media/File:100_views_edo_019.jpg
広重画「江戸名所百景 王子音無川堰棣 世俗大瀧ト唱」

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