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山の神 ーー 易・五行と日本の原始蛇信仰

2016年4月21日 木曜日 晴れ 暖かい春の一日 土筆摘み3日目

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吉野裕子 山の神ーー易・五行と日本の原始蛇信仰 講談社学術文庫 2008年(原本は、1989年、人文書院)

吉野の方法:
複雑多岐にわたる山の神の本性から推して、・・・(中略)・・・山の神を山の神として一からげにしてみるのではなく、その信仰を原始蛇信仰によるもの、と易・五行導入後のそれとに対象を分類し、これらの視点か改めて山の神を捉え直した(吉野、同書、おわりに、p253)

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追体験とは古代人がその心象のうちにいだいたイメージを、後代の人間も自身のうちに新たに描き出し、それによって彼らの真意を心および身体に即して捉え直すことである。単なる字句の解釈とか、抽象的な思惟でその意味をおうことでは絶対にない。後代の人間も乏しいながらなお残っている想像力を駆使して、古代人の心象の中に這い寄り、忍び込んで彼らの心底にひそむそのイメージの再構築に苦労していると、その過程において否応なしに納得させられるものがある。 それは要するに古代人の想像力の豊かさとは、柔軟性とほとんど同義語であるということである。(吉野、同書、p60)

「山の神の来臨、即ち、人間の誕生」ということならば、人間の誕生とは、けっして単独、かつ唐突のものではなく、それは山の神から人間への生命の引き継ぎ、リレーとみなされていたことになる。もし山の神が大した神格をもたない神であるとしたならば、この民俗信仰の理由づけは難しい。(吉野、同書、p106)

山は彼らにとってこの世ながらの他界だったからである。そこで山を中枢に人は生死の輪廻を繰り返す、つまり誕生とは祖霊から人への変身、死とは人から祖霊への変身、ということになる。(吉野、同書、p107)

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妻の異称「山の神」
全陽の巳は夫
全陰の亥は妻
「亥」とはすなわち「山の神」なので、その結果「妻即山の神」となり、妻のことを「山の神」というのは、ふしぎでも何でもなく、きわめて自然の道理ということになる。しかし何故、山の神が妻を指すかは、日本民俗学では今もなお謎とされている。(吉野、同書、p136)

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