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君を送りて併せて得たり春愁を送るを

2016年6月16日 木曜日 雨の降りそうな・風の強い・曇り空 肌寒い

君を送りて併せて得たり春愁を送るを

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一海知義 漢詩一日一首 平凡社 1976年 p180-181

送呂卿 明・高啓

遠汀斜日思悠悠,
花拂離觴柳拂舟。
江北江南芳草徧,
送君併得送春愁。

遠汀(えんてい) 斜日 思い悠悠(ゆうゆう),
花は離觴(りしょう)を拂(はら)い 柳は舟を拂う。
江北 江南 芳草徧(あまね)し,
君を送りて 併(あわ)せて得たり 送春の愁(うれい)。
(訓み下しは一海さんより)

はるかな汀(なぎさ)、沈みゆく太陽、友を見送る私の思いは、あてどもない。「悠々」は、空間的には遠くはるかなさまをいい、心理的にはとりとめもなく、あてどもないさまをいう。 今は楽しかるべき春である。花は別れの盃に散りかかり、柳の枝は旅立つ舟にふれてゆれる。・・君がいま舟で旅立つ大川の北も南も、かぐわしい草がいちめんに生い茂っている。それはたけなわの春の象徴である。 絶頂は下降への転折点だというが、君を送る今、私の胸は、この春をも共に送る思いにとざされる。 この詩には、構えとかてらいとかいったものがまったくない。同じ作者の「胡隠君を尋ぬ」がそうであるように、平易さへの挑戦がここにもある。(一海、同書、p181の解説より引用)

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碇豊長さんの解説サイトより:http://www5a.biglobe.ne.jp/~shici/shi4_08/pbt_shi114.htm

高啓:明初(1336年~1374年)の詩人。明代最高の詩人とされる。字は季迪。江蘇省長州(現・蘇州)の人。元末に呉淞の青丘に隠棲する。唐宋の格調高い詩風を保っている。『元史』の編纂に従事する。戸部右侍郎に任ぜられたが、固辞して郷里の青丘に隠棲する。しかし、洪武七年(1374年)、魏観の謀叛の罪に連座して腰斬の刑に処せられた。時に三十九歳。

※送呂卿:呂さんを見送る。 *似たイメージの詞に、北宋・寇準の『江南春』「波渺渺,柳依依。孤村芳草遠,斜日杏花飛。江南春盡離腸斷,蘋滿汀洲人未歸。」がある。

※花払離觴柳払舟:花は、別れの杯をそっとかすめて(散り)、柳(の枝)は、そっとなでかける。 ・払:そっとかすめる。はらう。ここは、前者の意。・柳:ヤナギ。依依嫋嫋たるさまで、別離の情を昂める働きをし、折楊柳の故事から別離を謂う。

※江北江南芳草遍:江(かわ)の北側も南側も、春の草が一面に生えて(わたしも故郷に帰るべきだとの感慨-望郷の念を抱(いだ)く)。 *草が生い茂る春の時期は、帰郷を促す時期であり、ここでは、春景描写を借りて、望郷の念を秘かに詠う。 ・江北江南:長江の北側も南側も。 ・芳草:花のかぐわしい草。よいかおりのする草。春の草。 ・徧:〔へん;bian4●〕あまねく行きわたる。くまなく。あまねし。=遍。

※送君併得送春愁:(この送別行は)あなたを見送ることとともに、春の持つ愁いをも見送ること(となって、わたしはまだここに留まっていることとしよう)。 *この「送君併得送春愁」句、「送君(併得)送春愁」という構成。 ・君:あなた。ここでは、呂(卿)のことになる。 ・併得:併(あわ)せて手に入れる。戦国・上杉謙信の『九月十三夜』に「霜滿軍營秋氣淸,數行過雁月三更。越山幷得能州景,遮莫家鄕憶遠征。」とある。 ・春愁:春になって、気持ちがふさぐこと。春の愁い。

以上、碇豊長さんより引用

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補注 よって、碇豊長さんの読み下しでは http://www5a.biglobe.ne.jp/~shici/shi4_08/pbt_shi114.htm
「君を送りて 併(あは)せて得たり  春愁を送るを」
となっている。
得たものが、一海訳では(春を送るという)愁い、
一方で、碇豊長訳では(春の愁いを)見送ること、
つまり、一海訳では、行く春を送るという愁いの気持ちを併せて得たのであり、碇さん訳では春の持つ愁いをも見送ること(となって、わたしはまだここに留まっていることとしよう)ということができたことになる。

行く春を送るという愁いの気持ちは、「今春みすみす又過ぐ」ことを愁うことに通じるように思う。
一方、「春の持つ愁いをも見送ること」となると、春の愁いをまるで友として、その友を見送るように名残惜しくしみじみと(過ぎゆく短い時間を意識しながら)過ごしているという情景である。

一海訳では、愁いという主観的なものを得たのに対し、
碇さん訳では、見送りすることというやや客観的なものを得たことになる。

突きつめて考えてみると、どちらもほぼ同じ意味の情緒を歌っていることになる。

どちらの読み下しが文法的に良いか、今の私には判断する素養がないので、今後の宿題としたい。ただ、今の直感・感覚としては、碇さんの訳の方が好きなので、これをタイトルに掲げさせていただくことにしたい。すなわち、君を送ることで今さら新たに愁いを得たのではなく、もともと春の愁いにどっぷり沈んでいた私は、君を送ることでさらにこの愁いとも送別の盃を交わす機会を得て、さらに一層この愁いとの友情を深める(別れを惜しむ)限りある時間をしみじみと過ごしているのである。(補注*)

補注* その愁いは春が去って行ったからといって、綺麗さっぱり消えていくような性質の愁いではない。あたかも、Green Day の歌 Wake me up when September ends の歌詞 As my memory rests But never forgets what I lost に詠われているような愁いなのである(以下の歌詞は、http://www.azlyrics.com/lyrics/greenday/wakemeupwhenseptemberends.html より引用):

Here comes the rain again
Falling from the stars
Drenched in my pain again
Becoming who we are

As my memory rests
But never forgets what I lost

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補注 この詩を読んで、ふと、漱石の草枕の終局の一場面を思い出した。(日露戦争で徴兵されて)兵隊として旅立ってゆく青年を、舟に乗って、ステーションまで見送ってゆく、のどかな春の川下りの情景であった。漱石は高啓の詩の愛読者であったというから、ひょっとすると、草枕執筆の際にも、この詩のイメージがふと浮かんでくるようなことがあったかもしれない。

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補注の補注 草枕  十三 (青空文庫より引用)http://www.aozora.gr.jp/cards/000148/card776.html
 川舟《かわふね》で久一さんを吉田の停車場《ステーション》まで見送る。舟のなかに坐ったものは、送られる久一さんと、送る老人と、那美さんと、那美さんの兄さんと、荷物の世話をする源兵衛と、それから余である。余は無論|御招伴《おしょうばん》に過ぎん。
・・・(中略)・・・ 
 老人の言葉の尾を長く手繰《たぐる》と、尻が細くなって、末は涙の糸になる。ただ男だけにそこまではだま[#「だま」に傍点]を出さない。久一さんは何も云わずに、横を向いて、岸の方を見た。
 岸には大きな柳がある。・・・(中略)・・・
 舟は面白いほどやすらかに流れる。左右の岸には土筆《つくし》でも生えておりそうな。土堤《どて》の上には柳が多く見える。まばらに、低い家がその間から藁屋根《わらやね》を出し。煤《すす》けた窓を出し。時によると白い家鴨《あひる》を出す。家鴨はがあがあと鳴いて川の中まで出て来る。
 柳と柳の間に的※[#「白+樂」、第3水準1-88-69]《てきれき》と光るのは白桃《しろもも》らしい。とんかたんと機《はた》を織る音が聞える。とんかたんの絶間《たえま》から女の唄《うた》が、はああい、いようう——と水の上まで響く。何を唄うのやらいっこう分らぬ。
「先生、わたくしの画《え》をかいて下さいな」と那美さんが注文する。久一さんは兄さんと、しきりに軍隊の話をしている。老人はいつか居眠りをはじめた。
「書いてあげましょう」と写生帖を取り出して、

春風にそら解《ど》け繻子《しゅす》の銘は何

と書いて見せる。女は笑いながら、
「こんな一筆《ひとふで》がきでは、いけません。もっと私の気象《きしょう》の出るように、丁寧にかいて下さい」
「わたしもかきたいのだが。どうも、あなたの顔はそれだけじゃ画《え》にならない」
・・・(中略)・・・
女は黙って向《むこう》をむく。川縁《かわべり》はいつか、水とすれすれに低く着いて、見渡す田のもは、一面《いちめん》のげんげんで埋《うずま》っている。鮮《あざ》やかな紅《べに》の滴々《てきてき》が、いつの雨に流されてか、半分|溶《と》けた花の海は霞《かすみ》のなかに果《はて》しなく広がって、見上げる半空《はんくう》には崢※[#「山+榮」、第3水準1-47-92]《そうこう》たる一|峰《ぽう》が半腹《はんぷく》から微《ほの》かに春の雲を吐いている。
「あの山の向うを、あなたは越していらしった」と女が白い手を舷《ふなばた》から外へ出して、夢のような春の山を指《さ》す。
「天狗岩《てんぐいわ》はあの辺ですか」
「あの翠《みどり》の濃い下の、紫に見える所がありましょう」
・・・(中略)・・・
 車輪が一つ廻れば久一さんはすでに吾らが世の人ではない。遠い、遠い世界へ行ってしまう。その世界では煙硝《えんしょう》の臭《にお》いの中で、人が働いている。そうして赤いものに滑《すべ》って、むやみに転《ころ》ぶ。空では大きな音がどどんどどんと云う。これからそう云う所へ行く久一さんは車のなかに立って無言のまま、吾々を眺《なが》めている。吾々を山の中から引き出した久一さんと、引き出された吾々の因果《いんが》はここで切れる。もうすでに切れかかっている。車の戸と窓があいているだけで、御互《おたがい》の顔が見えるだけで、行く人と留まる人の間が六尺ばかり隔《へだた》っているだけで、因果はもう切れかかっている。
 車掌が、ぴしゃりぴしゃりと戸を閉《た》てながら、こちらへ走って来る。一つ閉てるごとに、行く人と、送る人の距離はますます遠くなる。やがて久一さんの車室の戸もぴしゃりとしまった。世界はもう二つに為《な》った。老人は思わず窓側《まどぎわ》へ寄る。青年は窓から首を出す。
「あぶない。出ますよ」と云う声の下から、未練《みれん》のない鉄車《てっしゃ》の音がごっとりごっとりと調子を取って動き出す。窓は一つ一つ、余等《われわれ》の前を通る。久一さんの顔が小さくなって、最後の三等列車が、余の前を通るとき、窓の中から、また一つ顔が出た。
 茶色のはげた中折帽の下から、髯《ひげ》だらけな野武士が名残《なご》り惜気《おしげ》に首を出した。そのとき、那美さんと野武士は思わず顔を見合《みあわ》せた。鉄車《てっしゃ》はごとりごとりと運転する。野武士の顔はすぐ消えた。那美さんは茫然《ぼうぜん》として、行く汽車を見送る。その茫然のうちには不思議にも今までかつて見た事のない「憐《あわ》れ」が一面に浮いている。
「それだ! それだ! それが出れば画《え》になりますよ」と余は那美さんの肩を叩《たた》きながら小声に云った。余が胸中の画面はこの咄嗟《とっさ》の際に成就《じょうじゅ》したのである。

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補注 「見渡す田のもは、一面《いちめん》のげんげんで埋《うずま》っている。鮮《あざ》やかな紅《べに》の滴々《てきてき》が、いつの雨に流されてか、半分|溶《と》けた花の海は霞《かすみ》のなかに果《はて》しなく広がって、・・」ーーーげんげんというのは恐らく、ゲンゲつまりレンゲの花のことだろう。私の古里ではシロツメクサが畑(空き地)の花だとすれば、レンゲは田圃の花。お祖父ちゃんに叱られることはわかっていても、一面のレンゲの花の中で遊ぶのは嬉しい。ーーーレンゲは暖かい地方の花ということで、北海道では冬越しできず、咲いているのを見ることがない。残念なことだ。

補注 ゲンゲ ウィキペディアによると・・・
ゲンゲ(紫雲英、翹揺 Astragalus sinicus)はマメ科ゲンゲ属に分類される越年草である。中国原産。レンゲソウ(蓮華草)、レンゲ、とも呼ぶ。
ゲンゲ畑
化学肥料が使われるようになるまでは、緑肥(りょくひ = 草肥:くさごえ)および牛の飼料とするため、8-9月頃、稲刈り前の水田の水を抜いて種を蒔き翌春に花を咲かせていた。これはゲンゲ畑と呼ばれ、昭和末頃までの「春の風物詩」であったが減少している。かつて水田に緑肥として栽培され、現在[いつ?]でもその周辺に散見される。 畑は田植えの前に耕し、ゲンゲをそのまま鋤きこんで肥料とした。窒素を固定する(大気中の窒素を取り込んで窒素肥料のようなかたちで蓄える)根粒菌の働きで、ゲンゲの根には球形の根粒がつく。ゲンゲの窒素固定力は強大で10 cmの生育でおおよそ10 アール 1 t の生草重、4-5 kg の窒素を供給し得る。普通15ないし20 cmに成長するからもっと多くなるはずである。
以上、ウィキペディアより引用

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