culture & history

ユーラシア国家興亡史

2020年11月11日 水曜日 曇り

中谷(なかたに)功治 ビザンツ帝国 千年の興亡と皇帝たち 中公新書2595 2020年

 ・・ユーラシアの歴史では、国が滅びるのはいたって普通の現象であった。たとえばロシアであれ、インドであれ、エジプトであれ、大半の国や王朝は外からの侵入者に苦汁をなめたり、亡国という事態にいたったりした。その結果、征服者と先住民族との対立や融合が繰り返され、文化は複雑化・重層化していった。当然のことながら民族構成や境界線は複雑に変化した。一国の歴史がほぼ一直線に通史として語れるのは、世界の歴史では例外に属するのである。・・・(中略)・・・「文明の十字路」に位置していたビザンツ帝国も、ユーラシアにおける国家・王朝の興亡史の真っ只中にあり、栄枯盛衰の果てに滅亡したと言えるのではないか。つねにそのような危機と直面しながら、千年続いたことの意義を噛みしめる必要があるように思う。(中谷、同書、p258-259)

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約1000年にわたって難攻不落を誇った「テオドシウス(2世)の城壁」

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コンスタンティノス11世パレオロゴスが最後の演説を行ったとされる「コンスタンティノス・ポルフュロゲネトスの宮殿」

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Siege of Constantinople from Bibliothèque nationale mansucript Français 9087 (folio 207 v). The Turkish army of Mehmet II attacks Constantinople in 1453. Some soldiers are pointing canons to the city and others are pulling boats to the Golden Horn.

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コンスタンティノープルの包囲戦

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金角湾

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