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第一次英仏百年戦争:アンリ・ドゥ・プランタジュネ(ヘンリー2世)と四人のどら息子

2021年3月29日 月曜日 曇りのち雨(昼間の気温は16℃と異常に暖かいので、歩くと汗が出る)

佐藤賢一 英仏百年戦争 集英社新書 2003年

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Henry_II_of_England

画像はウィキペディア(Wikipedia)より引用。この辺りの歴史叙述は新書・一般書よりも、むしろウィキペディアの方に詳しく分かり易く書かれている。メディアの媒体が紙からネットモニターへ、時代が変わっていくのを感じる。

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大陸の領土を奪われて、プランタジュネ家は海を渡るしかなかった。それまでイングランドといえば、大陸での野望を実現するための便利な資金源であり、また補給基地にすぎなかった。ノルマン朝の時代から一貫して、歴代の王は時たま渡航していただけである。  それほど軽んじていた王国が、以後は唯一の牙城になった。不本意な結末ながら、ここにイングランドをイングランドたらしめる王家としての、プランタジネット朝が成立する。「アンジュー帝国」の成立に端を発する英仏二王家の闘争は、・・パリ条約の締結で一応の終末を迎え、それゆえに渦中の歴史を「第一次百年戦争」と呼ぶ歴史家も少なくないのである。  実際、それは歴史の曲がり角だった。(佐藤、同書、p52)

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第一次百年戦争

どら息子たち

・・仮に四人の息子がいれば、四人すべてを幸せにしてあげたいとも思う。自らが相続に恵まれ、おまけに妻からも持参されて、北はスコットランド国境から南はピレネ山脈まで連続する、巨大な勢力圏を手にした幸運児、イングランド王ヘンリー二世こと、アンリ・ドゥ・プランタジュネも父親としては、その例外ではなかったらしい。(佐藤、同書、p44)

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フランスの征服王フィリップ

・・話をプランタジュネ家に戻せば、父親と長兄の死により、リシャールが「アンジュー帝国」を、そっくり継承する運びになった。イギリス史にいう「イングランド王リチャード一世」の即位だが、フランス王にとっての脅威は王冠の箔よりも、海峡を跨ぐ巨大勢力圏が再び一人に独占されたことだった。(佐藤、同書、p48)

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・・リシャールは「獅子心王(Coeur de Lion, Lion-Hearted; Richard the Lion-hearted)」の異名を取る勇猛果敢な男である。政治的には無能だが、戦争だけは天才的に強かった。ろくろく馬にも乗れないフランス王(=フィリップ二世=「征服王フィリップ」=「尊厳王フィリップ(Philippe Auguste)」)は、何度も打ち負かされることになる。

 ただ地道な根回しが功を奏した。骨肉の争いを誘引しようにも、もはや駒不足と判断するや、フィリップ二世は次は主従の反目を招くべく、アキテーヌの有力領主に反乱を教唆した。こちらも「アンジュー帝国」の利害など眼中になく、関心は家門の繁栄だけという連中であり、それが自分の得と思えば、主君の敵にも簡単に加勢するからである。  1199年に叛旗を掲げたリモージュ副伯の動きなども、その一例である。(佐藤、同書、p49)

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