読書ノート

あそこじゃ毎日何か事件が持ち上がるよ。もし静かすぎたら、われわれでなんとかかっこうをつけるさ。

2022年4月5日 火曜日 晴れ

ハシェク作・栗栖継訳 兵士シュヴェイクの冒険(二)岩波文庫 1972年(原作は1921年)

カレル橋の位置(カレル橋内)

・・シュヴェイクは言った。「この戦争が終わったら、ぼくを訪ねてこいよ。毎晩六時からナ・ボイシチ街の『ウ・カリハ』に行っているからな」

「もちろん行くよ」とヴォディチカは答えた。「何かおもしろいことがあるのかい」

「あそこじゃ毎日何か事件が持ち上がるよ」とシュヴェイクは請け合うように言うのだった。「もし静かすぎたら、われわれでなんとかかっこうをつけるさ」

ふたりは別れた。もうかなり離れたとき古参工兵のヴォディチカはシュヴェイクに呼びかけた。「それじゃおれが行くときには、何か余興をやるよう頼むぞ、きっとな!」

それに対して、シュヴェイクが大きな声で答えた。「きっとくるのだぞ、この戦争が終わったらな!」(ハシェク、同書、p325)

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カレル橋:マラー・ストラナ側の橋塔。

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ちょっとどぎつい表現にぶつかったからといって、読むのをやめて頭をひねるような人間は、卑劣漢である。なぜなら彼らは現実の生活を見て胆をつぶしているので、こういう弱い人間たちこそ文化と社会道徳に対して、最大の害毒を及ぼしているのである。・・・(中略)・・・

この機会におことわりしておくが、酒場のおやじパリヴェツは生きているのである。戦争中ずっと監獄で暮らしていたのだが、戦後まで生き抜いて、皇帝フランツ・ヨゼフの肖像をめぐる例の事件当時と、今でも全然変わっていないのである。・・・(中略)・・・ 彼は私が彼のことを本に書き、彼をあるがままの毒舌家として描いたことを、心から喜んでいた。

「これでもうだれもこのわたしを作り替えたりはしないだろう」と、彼は私に言った。「私はヘソの緒を切ってから、心に思ったとおり、ずばずば言ってきたが、これからも言うつもりですよ。今さらそこいらのヘナチョコどもに気兼ねして、この口にナプキンがかけられますかい?・・」

・・・(中略)・・・  彼は気取らぬ表現で、へつらいやごますりによる保身や立身出世主義に対するチェコの庶民の抵抗を、ずばりと心に思っているまま正直に代弁したのであるが、自分ではそのことに気づきもしなかったのである。皇帝と、お上品なあたりさわりのない表現に対するこういう憎悪と軽蔑は、彼にとっては本能的なものであり、いわば血管の中に流れていたのである。(ハシェク、同書(一)の第一部「後方にて」へのあとがき、p403-405)

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Hinrichtung der böhmischen Rebellen auf dem Prager Altstädter Ring 1621, zeitgenössischer Holzschnitt

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