philosophy

彼 (LW) が語ってくれなければ・・・

永井均 ウィトゲンシュタイン入門 ちくま新書 1995年

2015年3月26日 3月23日から岡山行きの飛行機の中で読み始める。ひっそりとした津山の宿で深夜読み継ぐ。さらに岡山から東京乗り継ぎで札幌行きANA飛行機の中で読み継いで読了。

私の友人L氏は、アメリカ東海岸の語学研修旅行のおりに、日本語訳のアーサー・ヘイリー聞き書きマルコムX自伝を読み始めて夢中で読み終え、その2年後には一橋大学の後期入学試験の面接試験の待ち時間に英語訳ミヒャエル・エンデのモモ(=アンチ時間泥棒!)に読みふけっていたという。マルコムX自伝を所持していてもアメリカ入国には差し支えなかったものの、その2年後、一橋大学の面接試験官による厳しい追及の現実の前に、アンチ時間泥棒=MOMO派の思想で満たされた頭でL氏はしどろもどろの受け答えもままならず、落第。

私は今回は10年ぶりに帰省し、4日間にわたって高齢の親族のために奔走。その合間合間におよそ昼間の実務的行動に似つかわしくない中島義道とウィトゲンシュタイン本を読み継いだ。私にとっての中島義道やウィトゲンシュタインは、L氏のマルコムXやMOMOに対応しているのかもしれない。

*****

以下、永井、同書より引用:

私(永井)にとって、法外な値段がつく思想家は、今のところウィトゲンシュタインとニーチェの二人だけである。彼らは、他の人も別の仕方で語った、人間にとって重要な真実を、彼らなりの仕方で語った人たちなのではない。他の人がまったく語らなかった、彼らがいなければ誰も気づかなかったかもしれない、まったく独自の問題を、ただ一人で提起した人たちなのである。少なくとも私にとって、ウィトゲンシュタインはそういう人であり、彼が勇気をもって語ってくれなければ、私自身が彼と独立に感じていたある問題を、私は一つの問題として考えてよいということすら、知らないで終わったであろう。(永井、同書 p210 より)

*****

私はある時期ニーチェという思想家の書いたものを読み込んだので、ほとんど無意識的に実はたいへんな影響を受けているようだ。ときどき自分が誰も知らないことを知っていると感じることがあるが、実はニーチェからまなんだことのようだ。・・・「ニーチェの誤診」という本を書きたいものだ。そういえばそういう意味でウィトゲンシュタインから学んだものは何もない。ウィトゲンシュタインは幼稚でつまらない。ヘーゲルは大人でつまらないが。(永井均 哲学の賑やかな呟き ぷねうま舎 2013年 p320 2012.4.24 より引用)

*****

**********

RELATED POST