philosophy

世界の神々しさと本来の神

ニーチェは無神論者ではない

2015年2月16日 月曜日

ニーチェは、・・・ はっきりと有神論者であるといってもよい。だから、彼が神の死について語るとき、善悪(といった小賢しいもの)をはるかに超えた、この世界の神々しさと一体化した、本来の神が、キリスト教とその道徳によって、なぶり殺しにされてしまった、という嘆きの側面が確実にあるのだ。ここを押さえておかないと、永遠回帰や運命愛を語る第三空間において、ニーチェが何を求めていたのかが、ちっとも実感できなくなってしまう。

以上、永井均「これがニーチェだ」 講談社現代新書 1998年 p81 「二種類の神の死」の項より引用。

<神の死> vs「神の死」: 表記法の定義

キリスト教の神だけを意味するのではなく、それを超えた、「むしろ神性一般、このような神を<神>と、その死を<神の死>と、表記することとしよう。」 永井 同書 p80 より引用。 (1886年に書かれた「悦ばしき知識」の続編で)希望の光であるかのように語られている神の死は、もっぱらキリスト教の神の死を意味する。以後、必要な場合、この神を「神」と表記し、その死を「神の死」と表記することにしよう。 永井 同書 p83 より引用。

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喜ばしき知識 125 も参照ください。

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