2020年3月16日 月曜日 晴れ
岡田尊司 死に至る病:あなたを蝕む愛着障害の脅威 光文社新書 2019年
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キルケゴールの「死に至る病」ーーー絶望の分析
・・不滅であるはずの魂の死とは何か。 キルケゴールの「死に至る病」とは、絶望、つまり神を信じられないということを意味する。・・キルケゴールの絶望についての分析の特徴は、心理分析だということである。といっても具体的なケーススタディはなく、一般的な考察だけからなる抽象論に終始する。・・キルケゴールは、絶望には三つのタイプがあると区分けすることで、絶望を自覚していない人さえも、実は絶望を抱えているということを指摘し、さらには、絶望を自覚していて自分自身から逃れようとするタイプと、絶望を自覚していて自分自身であろうとするタイプがあることを指摘することで、絶望した人に伴う不可解な行動を説明可能にしたといえる。(岡田、同書、p148)
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キルケゴールは絶望を、神の問題や世界の問題として扱うのではなく、個々の人間の心理的な問題として捉えようとした。・・つまり、神や世界に対して絶望しているのは、自分自身に対して絶望しているためだというのである。自分自身への絶望が、神を信じられないという形で表れているということになる。まさに視点を逆転させたのだ。・・・(中略)・・・だが、たとえば、母親に愛情をもらえない子どもがいたとして(そういう子どもは、悲しいことに、あふれている)、その子が絶望する場合を考えてみよう。・・・(中略)・・・愛を手に入れられなかった幼子は、自分自身というものを認識するよりも先に、他者や世界に対する怒りと絶望を抱える。自分自身に絶望することが先に始まっているわけではない。 それが、先にあるようにみなすことは、事実をひっくり返すことに等しい。個人の責任や努力を重視するあまり、個人にはどうしようもないことにまで責めを負わせ、なんとかしなければならないと、その努力と責任を強いること。そこにこそ「死に至る病」を生む本当の要因があるようにも思える。 そんな目に遭えば、絶望するのはもっともなのだ。むしろそこを受けとめることから出発すべきである。 絶望することさえも許されず、叱咤しようとするキルケゴールの思想の根底にあるものは、やはり頑張らないと生きる価値がなく、不朽の命に向かって努力し続けなければならないというプロテスタンティズムの価値観であり、また成功した商人の考え方であったように思える。(岡田、同書、p149-151)
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