2016年6月24日 金曜日 曇り
伊藤礼 耕せど耕せど 東海教育研究所 2013年
伊藤礼氏の開墾地拡大計画
翌年、昭和二十四年、わたくしは開墾地拡大計画をたてた。三十坪ではわが家が安心して食べてゆけるほどの収穫をすることが出来ないと考えたのだ。 実際に拡大計画を実施したとき、開墾といわれている労働の意味を知ることになった。徒手空拳の開墾事業というのは、重労働だったのである。木を切り倒し幹や枝を整理する。それからその根株を抜いて始末する。この作業のうち、根株を掘り出すのが最大の難関だった。一株を片づけるのに何時間もかかった。一日働いてへとへとになった頃に日が暮れた。 最初の年には大きな収穫はなかったと思う。肥料が足りなかったからだ。・・・(中略)・・・三年目にはたくさんの収穫を得たことは覚えている。望外の収穫を得て、庭先にサツマイモの山が出来た。興奮するほどだった。一家が冬越し出来る十分の量である。しかし、凍らせるとイモはダメになる。苦くなり、とても食べられるものではなくなる。それに対する方策は何か。・・・(中略)・・・わたくしは一念発起してムロを作ることにした。ムロというのは何か。・・これはわたくしの場合、土中に掘る穴である。(耕せど耕せど、p230)
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