2016年3月4日(金) 雪
李進熙 渡来文化のうねり―古代の朝鮮と日本 青丘文化社 2006年
古代の国家権力がまわりの土地を征服するのは、租税と特産物、労働力を奪う、つまり租庸調が欲しいからである。(李、同書、p33)
高松塚の発見から三〇年 華麗な男女群像と四神図(李、同書、p112以下)
補注:
李さんのこの本は、通史的に渡来文化をまとめたものでとても読みやすい(通読しやすい)。ただ、文化史的な記載が主体で、政治外交史に関しては余り踏み込んで解説されていない。たとえば、高松塚の壁画に関しては非常に詳しい文章描写が為されているものの、被葬者が誰であったのか、この古墳を造ったのは誰か、どういう意図で壁画や星宿図が描かれたのか、不思議な「盗掘」や破損は誰(何)によって何時なぜ行われたのか、などなどいわゆる謎に対するコメントが施されていない。文化史の表層を確認するよりも、本当に起こったことは何か、真実を知りたい私としては期待外れであった。その文化の中で生きた人々の思い・喜び・苦しみ、思想や感情の真実を知りたいのである。それで、せめて、四神図や星宿図が陰陽五行説的な思想で描かれ、諸処に疑問符が謎として残ること、など具体的に解説してもらえればよいと思う。その結果、専門家の立場として学問的に容易に解ける疑問には明確に答えるし、簡単には答えられない疑問は可能性のある仮説をいくつか挙げるにとどめて、解けない疑問として後の人々へバトンタッチするので良いと思う。
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著者の李進熙氏について ウィキペディアによると・・・
李 進熙(り じんひ、イ・ジンヒ、이진희、1929年 – 2012年4月15日)は慶尚南道出身の在日コリアンの歴史研究者・著述家。1984年に韓国籍を取得。和光大学名誉教授。文学博士(明治大学)。専門は考古学、古代史、日朝関係史。その論考については今日では学術的には否定的に扱われることが多い。
活動
・・主に古代史に取材し、独自の歴史解釈をこらした多々の著作で知られる。司馬遼太郎、松本清張、金達寿ら歴史作家との対談を盛んに行い、その言論活動は社会に大きな影響を与えた。しかしながら学術的には正確性に問題があり、また戦前の日本の植民地政策への反感に基づく韓国国粋主義性の点で批判を受けてもいる。
歴史論争
1970年代に李の提唱した仮説は大きな論議を呼んだが、歴史小説的イマジネーションに富む反面、実証的な考古学の立場からは否定的に扱われる部分がある。主なものとしては以下の通りである。
好太王碑文改竄説
発表当時(1972年)に流布していた数十例の日本・中国・朝鮮の碑文写真や拓本を精査して編年を行ない、当時の拓本のほとんどが碑面に石灰を塗布して改竄した新しい碑文から拓出されたものであるという指摘であり、5世紀の朝鮮半島に日本が権益を有していたように捏造するために、広開土王碑文の拓本を持ち帰った日本軍部が碑面に石灰を塗布して倭・任那関係の記事の改竄を行ったとするものである。その後の原石拓本の発見によりこうした改竄のなかったことが確認され、逆に朝鮮・韓国の学者の読み替えが批判されることともなった。
詳細は「好太王碑#大日本帝国陸軍による碑文改竄説とその破綻」を参照
江田船山古墳出土大刀主体者百済王説
江田船山古墳出土大刀の銀象嵌銘の主体者は百済の蓋鹵王と解釈し、九州が韓国の領土であったと主張している。(一般的には大刀銘の主体者は獲加多支鹵大王(倭王武、雄略天皇) とする説が主流である。)
詳細は「鉄剣・鉄刀銘文#江田船山古墳出土の鉄刀」を参照
<以上、ウィキペディアより引用>
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