literature & arts

鐸木能光:ぼくが宮沢賢治だったとき

2020年3月10日 火曜日 曇り

鐸木能光 ぼくが宮沢賢治だったとき キンドル版(短編集;初出は1995年頃のものが多い;私の購入したキンドル版の「あとがき」は2019年10月23日付け)

**

「だからあなたも忘れないでね」

彼女の声が蘇る。

彼女はどこか別の場所で、今でも<瞑想>という看板を掲げているに違いない。

もしかしたら、僕は駅をひとつ降り間違えただけなのかもしれない。

何も買わずにコンビニを後にした僕は、新たな切符を買うために、駅に向かった。(鐸木、瞑想教室、同書、キンドル版、2601/2681)

**

私の記憶から強制消去させられていたものが、三十年以上の年月を経て、ようやく甦り、つながった。(鐸木、強制消去、同書、キンドル版2134/2681、1995年頃執筆かとのこと)

**

見ていた僕は思った。自分が描いた絵に、その後、億単位の値段がつけられて売買されることを知らずに死んでいった村山槐多と、とりあえずは一曲三万円で曲を売って生活の足しにできる自分とでは、一体どちらが幸福なのだろうかと。(鐸木、ぼくが宮沢賢治だったとき、同書、キンドル版、2197/2681)

自分が納得できる音楽を残すこと。一曲でもいい。素晴らしいメロディーをこの世に残すこと。  それが本当に名曲だったのか、あるいは人から愛されるメロディーになるのか見届けられなくても構いません。残すだけで十分なんです。(鐸木、同、同書、2376/2681、1995年)

*****

つるバラ・トランクィリティー

**

補註: 私事になってしまいますが・・「自分が納得できる治療薬(くすり)を残すこと。一つだけでもいい。人を癒やせる薬をこの世に残すこと。  それが本当に効く薬だったのか、あるいは人から喜んでもらえる薬になるのか見届けられなくても構いません。残すだけで十分なんです。」・・と、書き換えてみると、音楽や文学あるいは語り伝えられる人の生きた姿と軌跡(それも広い意味での文学に入ると考えればよいのかもしれない)などと比べて、私の携わってきた「薬作り」という科学者としての仕事が、いかにも短期決戦の、数十年で決着がついてしまうような、まあ言ってみれば「儚い営み」であることが自覚される。

それでも研究の仕事を私が最初に始めてから35年を経た現時点でやっと臨床研究中ないしその前段階・生産工程プラント作成中であることを念うと、薬作りには本当に長い時間がかかるものだと思う。つまり、人の一生を尺度とした時間単位で計れば、薬作りには時間がかかり過ぎて「押っ取り刀」の営みである。

視点を転ずると、音楽や文学が極めて「個」を大切にする「芸術」であり、人の一生の間に成し遂げるべき営みである。つまり、死ぬ前には成し遂げていなければならない。

これとは対照的に、薬作りのような科学の仕事は、(大局的に眺めれば)「個」は埋没し、多くの人々の協同作業で積み上げていくべき営みである。科学の継承の流れの中で、「個」は忘れられて何ら支障ない。そして、医療として、音楽や文学とおなじく万人の財産となって、子孫たちに当たり前に享受されるものであろう。その流れの中では結果を形に残せた人も、そして努力が結果に結びつかなかった人も、すべての努力が価値あるものであり、流れに寄与した有象無象の功労者として真に尊く、そしていずれはすべて忘れ去られるものであろう。

さて、話を宮沢賢治に転換すると、私は科学者・詩人としての賢治にも、大変親しみを覚える。また、農に取り組んだ賢治、石灰肥料(土壌改良)を普及させようとしていた晩年の賢治にも、共感を覚える。

今回は鐸木さんの昔の作品を楽しませていただいた。次の作品も楽しみに待っております。「志」を忘れずに、良い仕事をお続けください。

**

コスモス・キャンパス 2018年10月撮影

*****

https://nikko.us/20/031.html より以下引用(2020年3月11日HH追記):

メディアは経済が経済がと騒ぐが、経済=株価や為替レートではない。人々の活力が失われ、動けなくなることが最悪の事態へと導く。人が動かなくなると、福祉に支えられている高齢者や、不安定な仕事でぎりぎりの生活をしている貧者などの弱者から順番に倒れていく。被害をどれだけ小さくしていけるかという戦いなのだ。(鐸木さんの2020年3月9日付けののぼみ〜日記より引用)

補註: 新型コロナウイルス肺炎の危機感で世の中が煽られ、自粛ムード一色である。このような時には、マスコミの誘導に引きずられることなく、(必要最小限の注意は怠らないものの)通常通りの活動を平常心で続けていくことが良いのである。

私の場合は・・

先月の肩腱板断裂は、大怪我と言ってよい。羊ヶ丘病院に入院して再建術を受けた後、退院してからは、日曜日を除く毎日、病院に通ってリハビリ施療を受けている。出席は皆勤である。結果が出せているかと問われれば・・腕はまだあがらないし、痛みもなかなか根強いものであるが、・・例年の冬場の活動よりもずっとお金を使って頑張っている状況である。ただし、世の人に直接貢献している生産活動とまではいえない。生産生活への復帰のための投資リハビリ努力である。2020年3月11日追記HH

*****

愛称:ピンクレオ

**

********************************************

RELATED POST