2021年3月7日 日曜日 雪
坂上康俊 平城京の時代 シリーズ日本古代史④ 岩波新書1274 2011年
大伴家持が、
大伴と佐伯の氏は人の祖(おや)の 立つる言立て(ことだて) 人の子は祖の名絶たず 大君に まつろふものと 言へ継げる 言の官(つかさ)ぞ
と歌った時(『万葉集』巻一八、四〇九四番)、まだ彼の脳裏には、大伴氏や佐伯氏固有の祖先伝承が残っていた。なぜなら彼は、この歌で自らの祖を「大久米主(おおくめぬし)」と表現しているが、これは記紀とは異なるからである。しかし記紀が、特に『日本書紀』が編まれ、そして普及することによって「祖の名」が保障された時、その代償として、固有の氏族伝承の生命は、静に終末を迎えたのではあるまいか。家持があえて「大久米主」と表現したことの背後に、どうしようもない流れの中で薄れゆく固有氏族伝承への愛惜を見るのは穿ちすぎであろうか。
土臭い豪族が、洗練された貴族に転身し、自負と自己主張によって保持してきた地位の継承が、制度と恩寵とに委ねられていく。豪族連合として成立したヤマト政権は、ここにようやく権威の源泉の、心性の深部に達するまでの一元化を成し遂げたのである。(坂上、同書、p222)
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