鎮魂慰霊の仏教 vs 自己救済の仏教

2018年2月22日 木曜日 晴れ

阿満利麿 法然の衝撃 日本仏教のラディカル 人文書院 1989年

鎮魂慰霊の仏教 vs 自己救済の仏教

 ・・柳田国男は、日本に定着した仏教には、二種類があることを強調していた。一つは、死者の鎮魂慰霊に役立つ仏教であり、他は、生きている自己自身の安心のための仏教である。後者は「自家用の念仏」とよばれ、具体的には、法然に始まる専修念仏をさしていた。柳田自身は、専修念仏には共同体の信仰を破る点があるとして、強く反発するところがあり、共同体の維持の上で、つまりは祖先崇拝に役立つ鎮魂慰霊の仏教を高く評価している。・・・(中略)・・・
 ただここで強調しておきたいことは、鎮魂慰霊の仏教、つまり葬式仏教は、日本の仏教史では主流ではあったが(今もそして今後も主流であろう)、それではどうしても救われない「個人の問題」が残るという事実なのである。
 そして、・・「個人の問題」は、究極的には、死者祭祀という儀礼、あるいは死者霊を浄化する威力というものでは、解決することができない。宗教は、決して死者祭祀や祖先崇拝に終わるものではない、それらは、宗教の重要な一面ではあるが、あくまでも一面なのである。むしろ、死者祭祀に代わる救済原理を提出することができる点にこそ、宗教の真骨頂がある。仏教もまた、その意味で宗教なのである。日本の歴史では、このような救済原理はさまざまに提唱されたが、もっともひろく民衆に開かれた原理は、法然を待ってはじめて出現したのであった。(阿満、同書、p26-27)

 ・・宮古島の仏教化の始まりに触れることで、私は、そもそも日本の仏教自身が、その出発点においてどのような問題をはらんでいたかを、はるかに時間を隔てているにもかかわらず、なにか実感できたように思われたのである。 さて、ここから私の思いは、二つの方向へのびる。一つは、一挙に古代へさかのぼり、仏教伝来当時、仏教がどのように受容されたかを知ること。二つは、仏教儀礼とユタの両者を必要とする問題から、神と仏の共存という、日本宗教史を貫く信仰形態をあらためてふりかえってみること、である。いずれも、私の心づもりとしては、法然の革命性を明確にとらえるための前提なのである。(阿満、同書、p27-28)

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真言の弥陀と法然の弥陀はその心不同なり

2018年1月27日 土曜日 雪

法然 一百四十五箇条問答 法然が教えるはじめての仏教 石上善應・訳・解説 ちくま学芸文庫 

一四四
一つ、真言の阿弥陀の供養法は正行(しょうぎょう)にて候べきか。
答う、仏体(ぶったい)は一つには似たれどもその心不同なり。真言教の弥陀はこれ己心(こしん)の如来、外(ほか)を尋ぬべからず。この教の弥陀はこれ法蔵比丘(ほうぞびく)の成仏なり。西方におわします故にその心大きに異なり。(法然、同書、p303)

真言宗では、己心の弥陀を論じ、この身このまま仏となるというのに対し、法然は、法蔵なる方が修行して阿弥陀仏となり、西方極楽浄土で説法しておられる。そこへ煩悩をそなえたまま凡夫(ぼんぷ)が往生するのであって、明らかに違うと説き示した。(石上、同書、p304)

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補註 (この場を借りて・・)
天才ギタリストの藤岡幹大さんが今月5日に亡くなられたことを今日、知った。藤岡氏のギターの教則本(補註#)を学び始めていたところであった。またユーチューブなどを通して、ソロやジャム、あるいはベビメタの神バンドなど、藤岡氏のハイレベルのギター演奏を楽しませていただいていた。ご冥福を心からお祈り申し上げます。

補註# 私が現在持っているのは、アドリブギター虎の巻〜ジャズフュージョン篇〜;脳内コードブック覚醒法の2冊。

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矢部宏治 日本はなぜ基地と原発を止められないのか

2017年11月9日 木曜日 曇り一時雨のち晴れ

矢部宏治 日本はなぜ、「基地」と「原発」を止められないのか 集英社インターナショナル 2014年

・・この「密約法体系」の存在を考えに入れて議論しないと、
「なぜ沖縄や福島で起きているあきらかな人権侵害がストップできないのか」
「なぜ裁判所は、だれが考えても不可解な判決を出すのか」
「なぜ日本の政治家は、選挙に通ったあと、公約と正反対のことばかりやるのか」
ということが、まったくわからなくなってしまうのです。(矢部、同書、p65)

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・・こうした形で司法への違法な介入が繰り返された結果、国家の中枢にいる外務官僚や法務官僚たちが、オモテ側の法体系を尊重しなくなってしまったのです。・・・(中略)・・・ウラ側の法体系と一体化してしまった。そして、すでに六〇年がたってしまった。その結果、日本の高級官僚たちの国内法の軽視は、ついに行きつくところまで行きついてしまったのです。(矢部、同書、p84)

田中耕太郎判決は「統治行為論」、柏木賢吉判決は「最良行為論」(補註#)、米軍機の騒音訴訟は「第三者行為論」と呼ばれます(補註##)が、すべて内容は同じです。・・こうした「法理論」の行きつく先は、
「司法による人権保障の可能性を閉ざす障害とも、また行政権力の絶対化をまねく要因ともなりかねず」、「司法審査権の全面否定にもつながりかねない」。(矢部、同書、p86)

補註# 柏木賢吉判決 1978年、愛媛県の伊方原発訴訟の一審判決。「・・原子炉の設置許可は周辺住民との関係でも国の裁量行為に属する」(矢部、同書、p85-86)

補註## あとになってわかっtのは、それらはすべて素人の目をごまかすための無意味なブラックボックスでしかなかったということです。(矢部、同書、p90)

・・その行きついた先が、現実に放射能汚染が進行し、多くの国民が被曝しつづけるなかでの原発再稼働という、狂気の政策なのです。(矢部、同書、p87)

法律が改正されても続く「放射性物質の適用除外」(矢部、同書、p91)
・・大気や水の放射能汚染の問題は、震災前は「汚染防止法の適用除外」によって免罪され、震災後は「統治行為論」(補註###)によって免罪されることになったわけです。このように現在の日本では、官僚たちがみずからのサジ加減一つで、国民への人権侵害を事由に合法化できる法的構造が存在しているのです。(矢部、同書、p93)

補註### 原子力基本法・・原子力に関する安全性の確保については、「わが国の安全保障に資する[=役立つ]ことを目的として、おこなうものとする」(第2条2項)という条項が入っているからです。(矢部、同書、p93)

日米原子力協定という日米間の協定があって、これが日米地位協定とそっくりな法的構造をもっていることがわかりました。(矢部、同書、p95)

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矢部宏治 隠された日本支配の構造

2017年11月8日 水曜日 曇り一時雨

矢部宏治 知ってはいけない 隠された日本支配の構造 講談社現代新書2439 2017年

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ほかの国の軍事協定を読んでいるとよくわかるのですが、主権国家にとって「他国の軍隊が自国の国境を越えて移動する権利」というのは、なにょり厳重にコントロールしなければならないものなのです。(矢部、同書、p75)

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「対米従属」の根幹:
 「対米従属」の根幹には、軍事面での法的な従属関係がある。
 つまり、「アメリカへの従属」というよりも、それは「米軍への従属」であり、しかもその本質は精神的なものではなく、法的にガッチリと押さえこまれているものだということです。(矢部、同書、p94)

まさに「ブラックボックス」
 日米合同委員会の本質とは、占領時代から続く基地の使用権や治外法権など、米軍が持つ巨大な特権を、どうすれば日本の国内法のもとでトラブルなく維持していくかの調整機関です。(矢部、同書、p98)

「地位協定」=「行政協定」+「密約」(矢部、同書、p118-119)

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砂川事件の結果、起こったこと
「安保条約のような重大で高度な政治性を持つ問題については、最高裁は憲法判断をしなくていい」・・「日本版・統治行為論」(1959年12月16日・最高裁判決)(矢部、同書、p148-150)

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 突然の朝鮮戦争によって生まれた「占領下での米軍への戦争協力体制」が、ダレスの法的トリックによって、その後、六〇年以上も固定し続けてしまった。(矢部、同書、p248)

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 ・・遠く離れた場所(沖縄、福島、自衛隊の最前線)で大きな矛盾に苦しむ人たちの声に真摯に耳を傾け、あくまで事実に基づいて、根本的な議論を行うときにきていると私は考えます。(矢部、同書あとがき、p260)

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なぜ、9条3項・加憲案はダメなのか
 ・・憲法9条は・・・(中略)・・・1952年の独立後は、日米安保条約とセットで存在しているものだからです。・・・(中略)・・・この①から④までの四つの問題を解決しないまま、憲法で自衛隊を容認してしまうと、・・「米軍による日本の軍事利用体制」の完成です。(矢部、同書、p259-260)

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町田宗鳳 法然の涙

2017年11月7日 火曜日 晴れ

町田宗鳳 法然の涙 講談社 2010年

補註: 小説(フィクション)版の法然伝。幼名、勢至丸。父、漆間時国、母、秦姫、稲岡庄、長承二年(1133年)四月七日生まれ。

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