范蠡と陶朱公

2018年4月14日 土曜日 曇り
 
「史記」より<以下引用>
 
・・范蠡浮海出齊,變姓名,自謂鴟夷子皮,耕于海畔,苦身戮力,父子治產。
 
・・於是自謂陶朱公。復約要父子耕畜,廢居,候時轉物,逐什一之利。
 
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范蠡浮海出齊,變姓名,自謂鴟夷子皮,耕于海畔,苦身戮力,父子治產。居無幾何,致產數十萬。齊人聞其賢,以為相。范蠡喟然嘆曰:「居家則致千金,居官則至卿相,此布衣之極也。久受尊名,不祥。」乃歸相印,盡散其財,以分與知友鄉黨,而懷其重寶,閒行以去,止于陶,以為此天下之中,交易有無之路通,為生可以致富矣。於是自謂陶朱公。復約要父子耕畜,廢居,候時轉物,逐什一之利。居無何,則致貲累巨萬。天下稱陶朱公。
朱公居陶,生少子。・・・以下略・・・
 
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補註 鴟夷子皮(しいしひ)について:
白川静さんが詳しい解説を書かれていた。「孔子伝」だったかと思うが、今、正確には思い出せない。

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鐸木さんと選挙 & 「斎(齋)」vs「斉(齊)」

2018年4月14日 土曜日 くもり
 
鐸木さんの180410付けの日記より <以下引用> http://nikko.us/18/051.html
 
なるべく喧嘩せず、対立構図を作らず、したたかに相手(国や県や大企業)を取り込み、結果として今よりいい方向に向かう知恵と対人関係形成能力が政治家には不可欠。清濁併せ呑み、ゲームに勝つずるがしこさも必要なのだ。

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リン資源枯渇危機とはなにか

大竹久夫編著 リン資源枯渇危機とはなにか リンはいのちの元素 大阪大学出版会 2011年

2018年3月12日 月曜日 曇り

補註: リン資源枯渇危機に関して、
 大切な問題であることは分かる。しかし、心なしか、石油機資源枯渇の問題と同様な危うさの匂いが感じられるのである。
 落ち着いて科学的な基礎データを集めることが前提となろう。

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肥料になった鉱物の物語

2018年3月7日 水曜日

髙橋英一 肥料になった鉱物の物語 ーーグアノ、チリ硝石、カリ鉱石、リン鉱石ーー のぎへんのほん 研成社 2004年

自然界でのカリウムとナトリウムの分布の違い
 カリウムとナトリウムは地球表層にはほぼ同じくらい存在するが、その分布は陸と海で著しく異なっている。すなわち土壌中にはカリウムはナトリウムの二倍以上存在するのに、海水中にはカリウムはナトリウムの三〇分の一くらいしか含まれていない。・・・(中略)・・・
 ・・これらの事実は、生物が上陸する前の生息環境である海のカリウムとナトリウムの濃度を反映しており、動物は体液という海を宿し、植物は海の衣を脱いで上陸したように思われて興味深い。またその結果、一般の植物はナトリウムを必要とせず、むしろ過剰の害が問題になるのに対して、陸上動物はナトリウムの獲得が必要であり、とくに草食動物ではナトリウム不足になりがちである。(髙橋、同書、p81)

アメリカにおける木材の灰からのポタッシ生産
 ・・アメリカからヨーロッパへの二世紀にわたる木灰の輸出は、木灰以外のカリ資源が知られていなかった時代のヨーロッパの産業の発達を大いに助けた一方で、アメリカ東部諸州の農業の生産性を著しく低下させた。(髙橋、同書、p93)

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鎮魂慰霊の仏教 vs 自己救済の仏教

2018年2月22日 木曜日 晴れ

阿満利麿 法然の衝撃 日本仏教のラディカル 人文書院 1989年

鎮魂慰霊の仏教 vs 自己救済の仏教

 ・・柳田国男は、日本に定着した仏教には、二種類があることを強調していた。一つは、死者の鎮魂慰霊に役立つ仏教であり、他は、生きている自己自身の安心のための仏教である。後者は「自家用の念仏」とよばれ、具体的には、法然に始まる専修念仏をさしていた。柳田自身は、専修念仏には共同体の信仰を破る点があるとして、強く反発するところがあり、共同体の維持の上で、つまりは祖先崇拝に役立つ鎮魂慰霊の仏教を高く評価している。・・・(中略)・・・
 ただここで強調しておきたいことは、鎮魂慰霊の仏教、つまり葬式仏教は、日本の仏教史では主流ではあったが(今もそして今後も主流であろう)、それではどうしても救われない「個人の問題」が残るという事実なのである。
 そして、・・「個人の問題」は、究極的には、死者祭祀という儀礼、あるいは死者霊を浄化する威力というものでは、解決することができない。宗教は、決して死者祭祀や祖先崇拝に終わるものではない、それらは、宗教の重要な一面ではあるが、あくまでも一面なのである。むしろ、死者祭祀に代わる救済原理を提出することができる点にこそ、宗教の真骨頂がある。仏教もまた、その意味で宗教なのである。日本の歴史では、このような救済原理はさまざまに提唱されたが、もっともひろく民衆に開かれた原理は、法然を待ってはじめて出現したのであった。(阿満、同書、p26-27)

 ・・宮古島の仏教化の始まりに触れることで、私は、そもそも日本の仏教自身が、その出発点においてどのような問題をはらんでいたかを、はるかに時間を隔てているにもかかわらず、なにか実感できたように思われたのである。 さて、ここから私の思いは、二つの方向へのびる。一つは、一挙に古代へさかのぼり、仏教伝来当時、仏教がどのように受容されたかを知ること。二つは、仏教儀礼とユタの両者を必要とする問題から、神と仏の共存という、日本宗教史を貫く信仰形態をあらためてふりかえってみること、である。いずれも、私の心づもりとしては、法然の革命性を明確にとらえるための前提なのである。(阿満、同書、p27-28)

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